「シックス・センス」の衝撃 


【お知らせ】

残暑お見舞い申し上げます。
山寺のHP更新致しました。
宜しければ御笑覧下さいませ
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先程、私の住んでいる山寺での施餓鬼が終わり、お盆の忙しさも一区切りである。やれやれ…

今年は初めて庫裏の前に精霊棚を飾った。
昔はどの家でも飾る慣わしがあったそうだが、そうした習慣を伝える家も本当に僅かな数になった。
古くからの習慣を伝える意味でも私なりに精霊棚を祀ってみた。
今日の棚経は家々のお仏壇を拝むが、昔はこの精霊棚を拝むのが本来の棚経だったそうである。

お盆の忙しい時期、ちょっと逃避の気分が起きて映画を何本か観た。
「シック・スセンス」「ショーシャンクの空に」はかなり良かった。「レディ・イン・ザ・ウォーター」は監督が「シックスセンス」の 監督と同じと聞いたので借りたが失敗…最後まで観れなかった。お勧めしません…



お坊さんがホラー映画が好きというとかなり悪趣味といわれそうだがやっぱりホラー映画が好きである。

「シック・スセンス」を観ていい映画だと思ったのだが、これは広い意味でのホラーであるが、怪物、死霊、殺人鬼が出てくるオーソドックスなホラー映画とは一線を画す作品である。

家族や友人を亡くして悲しみに打ちひしがれている時、もっとも慰めとなる言葉は何かといえば。それは亡くなった当事者からのメッセージではないかと思う。

分かりやすい例を挙げるなら「千の風になって」の世界である。
亡くなった者からの「泣かないでほしい。私はここにいるのだから」というメッセージほど残された者の心を慰めるものはないだろう。

シックスセンス」で描かれるのは、故人との交流によってこの世に生きる者が癒され、死者もまた自分の思いを伝えることでその心を清められる姿である。そしてその媒介をする人間自身もその能力の意味を自覚する。

ところでこの死者と生者の交流というは正に江原啓之のスピリチュアルカウンセリングの世界と酷似していることに気がついた。

この映画の「衝撃の結末」については賛否両論あるが、私はそのことより「シックスセンス」の世界と「千の風になって」や江原啓之さんとの類似のほうがよほど衝撃だった…

 江原氏が御自分の特異な能力を自覚されたのは子供の頃からだが、そうした世界を知覚することで随分、怖い思いをされたり、つらい思いをされたそうである。

 それはまさに「シックスセンス」で死者を知覚する能力をもったコール少年の苦悩と同じである。主人公の体験そのままなのである。


 こうした能力をめぐってとても大切なことがある。
 今の日本には江原氏にスピリチュアル・カウンセリングを受けたい!という人が沢山居ると思うが、江原氏自身が説いておられることとして

・ 霊能力があることと高い人格であることは必ずしも比例しない
・ 霊能力で人が幸せになるのではなく、スピリチュアルな人生に目覚めることこそが「本当の幸せ」を実現させる唯一な道である



 という2点である。

 いわゆる拝み屋さん、霊能者、「霊感の強い人」などの中には単なるインチキ、自分の能力に振り回されている人、全く能力の無いのに自分には能力があると錯覚している人などなどが大勢居る。十分注意しないといけない。時々、そうしたまがい物に惑わされた方からの相談を受けることがあるが、この分野が極端な玉石混交の世界であることや、本来の仏教が目指していたのは霊能などより遥かに高いところにあることを説明するのに苦労することがある。

 まだまだお盆である。未見の方は是非お盆中に「シックス・センス」をご覧になってはいかがだろうか?

 【追記】ウィキペディアの「江原啓之」「シックス・センス」の項を参考にさせて頂きました。
執筆者及び関係者に感謝申し上げます。