恐怖の報酬

 
         【山寺のホラー談義】
 
 子供の頃、強烈に印象に残っているのが映画「エクソシスト」のCM。
 とにかく怖かった!少女がベッドに身体を打ちつけられるシーンなんか震え上がりました…

 大学生になってからようやくビデオで「エクソシスト」を観たがやっぱり怖い。
 そして数あるホラー映画の中でも屈指の名作だと思っている。

 一時期、随分沢山のホラー映画を観たが、どうも「エクソシスト」の影響が大きかったのではないかという気がしている。 
 ちなみに続編の「エクソシスト2」はかなりの怪作。正統派のホラー映画とは言いがたいように思う。「エクソシスト3」は「2」の出来があまりに悪かったので原作者自らメガホンを取って製作した。こちらはかなり怖いし、ハイレベルな作品だと思う。

 「エクソシスト」では悪魔の具体的な実像は描かれていなくて、あくまで憑依した少女リーガンの言動や怪異な現象を通じて、観客に伝えられる。

 観客は<眼に見えない力>を感じると同時に<少女に憑依している悪魔の存在>を感知する。これは<悪魔憑き エクソシズム>という題材を描いたからこそ表現しえたことだと思うが、やはりとても高度な表現の仕方だと思う。(実はこの映画にはちょっとした視覚的な工夫があるように思うのだが、あまりはっきり言ってしまうと面白くない。ヒントは「川端康成の名作」とだけ言っておこう)


 一番怖いのは実は人間自身の想像力なのではないかと思うことがある。


 ヒッチコックの「サイコ」に出てくる有名なシーンでシャワー室で女性が襲われるシーンがある。若い女性が狭いシャワー室の中で鋭利な刃物で惨殺される。

 シャワー室では私達は無防備な裸になる。しかも逃げ場の無い密室である。そのシャワー室で襲われたらどうしよう…という潜在的な恐怖が欧米人の中にはあるのではないだろうか。ヒッチコックはその潜在的な恐怖心を掘り起こしたとも言える。

 私達が「もし…になったらどうしよう」と恐れることを見つけることがホラー映画を作るうえでのひとつのポイントなのだろう。

 多分、生物としても最も根源的な恐怖は自分より圧倒的に強い生き物の追いかけられ、食べられることなのではないかと思う。だからホラー映画にはこうしたシーンが沢山出てくるし、ホラー映画以外の映画でも<追いかけられる>というシーンはサスペンスを作る為に常に描かれるのだと思う。


 こうしたホラー映画をみることで、もしかしたら生物として眠っている何かが目覚めるのかもしれないと思うときがある。

 ひとつには怖さを視覚的に体験することで身体が活性化するように感じることがあるのだ。
 普段の生活でなまっている身体が非常モードというべき状態になることである。<生物本来の命をかけて生きる在り方>とでもいおうか。

 ただ、これには別の側面もある<人間に内在する凶暴性>のようなものを同時に目覚めさせる可能性もあることである。これは別の意味で怖い…

 相変わらず沢山のホラー映画が作られている。
 それがぬるま湯のような日常への刺激を求めてなのか、もっと違う何かを求めてのことなのかは分からない。
 人間にとって恐怖が根源的なテーマであることは間違いないだろう。