口の中の斧


高校生の頃、ユングの「人間と象徴」(河出書房新社)を読んでとても感銘を受けた。

ユングは男性に存在する中に女性性を<アニマ>と呼び、女性に内在する男性性を<アニムス>と呼んだが、当時、私はこの<アニマ>と<アニムス>という考えにとても魅了された。

しばらくその考えのとりこになっていたのだが、ある日、本屋の店頭で一冊の雑誌を見つけた。
「アニマ」というタイトルの雑誌で、表紙には綺麗な女性の写真が載っていた。喜んで買い求め、家に帰って広げると、中身はかなりグロテスクでエロな雑誌であった。
しばらくして気がついた。雑誌のタイトルは「アニマ」ではなく「マニア」だったのだ…

人間の性格に<内向>と<外向>という区分を設けたのもユングだが、かなり経ってから<内向><外向>は<陰陽>であり、<アニマ><アニムス>は<陽中の陰><陰中の陽>に対応していることに気がついた。

昨日も陰陽の存在について少し触れたが、この陰陽の存在は一見、古臭いようでいて、非常に示唆を感じることがある。

陰徳があれば陽報があることについて昨日述べたが、その逆もまた在りうる。
悪しき行いや思いの積み重ねがある日、眼に見える不幸となって降りかかってくることである。
善事も悪事もある量の蓄積が陰の部分で積み重なって初めて形になって現れるというのは面白いことだと思う。

悪事というと人殺しや強盗を思い浮かべるが、そういった大きな悪事だけではなく、小さな悪事もまた積み重ねることで大きな悪い結果を生むと私は思っている。

他人の陰口や悪口や無責任な噂などを嬉々として語る人がいるが、正直言って大丈夫かな?といつも思う。他人に対する憎悪や嫉妬というのはとても大きな、眼に見えないエネルギーとして作用しているのではないかと思うことがあるからだ。

よく毒気の強いと形容されるような人で一緒にいるだけでぐったりしてしまうような人が時々いる。私達がそういう人と一緒に居て、何を不快に思い、何に消耗してしまうかといえば、その人が出しているある種のエネルギーのようなものだと思っている。

私達の心はとてつもないエネルギーを持ち、お互いに大きな影響を与え合って生きているのだと思う。

幸福も不幸も全ては必然であるとしたら、他人の幸福を羨むことなく、もっと別のことに自分の心を向けるべきである。そうでないと幸福は決して訪れてこないからだ。むしろ訪れるのは…


人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。愚者は悪口を言って、その斧によって自分を切り割くのである。

     第3章10節657 >「ブッダのことば」  中村元 訳 (岩波文庫)