場の空気


本日も天候不順である。
天気なら草刈をするつもりだったのだが、やや拍子抜けした。

思い立って妻と弓道場に出かけた。
7月に二人で弓道連盟の主催する弓道教室に10回ほど通った。
弓道場の張り詰めた雰囲気と穏やかで面倒見の良い弓道連盟の方々の人柄に魅せられて、弓道を続ける気になったのだが、さすがにお盆の前後は忙しくて通うことができず、1ヶ月ぶりに弓道場に足を運んだ。


今回、弓道教室に参加した10人のうち、8名が引き続き弓道場に通うようになったとのこと。私達も一ヶ月前に教えられたことを思い出しながら、たどたどしく弓を引いた。

弓道は姿勢や動作にいろんな要求があるのだが、それらに集中していると普段の雑念が消える気がする。そして時々、的に当たると、何ともいえない快感が湧いてくる…

弓を握る手の内について説明を受けた時、合気道で教わった伸筋を使う技術と良く似ていることに気がついた。日本の武道にはやはり多くの共通点があるのだろう。

弓道連盟の方の指導は親身で穏やかなのだが、弓道場全体には緊張とリラックスの入り混じった不思議な空気がある。少し禅寺に似ているといつも思う。

<場の空気>というのは面白いと思うことがある。

普段私達夫婦が寝室にしている和室は、炉が切ってあってお茶の稽古ができるようになっている。本来は茶室兼客間として作られた部屋である。

火事で消失した庫裏を再建するとき、茶道の好きな母が茶道の稽古ができるようにしつらえたのである。最初に私達夫婦の寝室としてあてがわれたのが住職夫婦と襖一枚隔てた隣の部屋だったので、あまりにプライバシーが無さ過ぎるので(笑)、その隣の茶室兼客間を私達が寝室として使うことにしたのである。

この部屋で母とお茶仲間が丸一日、茶道をした後、部屋に戻ると、部屋の空気が何か違うと感じることがある。

違和感というより、落ち着いて整った感じである。
この感覚は面白いと思う。

その場で行われていることが、眼には見えないが、感受されるものとして人間に影響を与えているというのは間違いがない。



学生時代の友人にちょっと特異なほど、こうしたことに敏感な女性が居た。
人間やその土地の持つ空気や気配にとても敏感な人物だった。
その女性が「あの場所はとても嫌だ」という場所があった。
そこはごく普通の住宅街だが、私はたまたまそこに戦時中は陸軍の特別な機関が置かれていて、以前に大量の人骨が出土したことを知っていた。やはり何か良くないものを感じたのだろう。

時々、山寺へこられた方に「ここへ来ると落ち着くんです」と言われることがあって嬉しく思うことがある。
参拝された方に和んでもらえるような空気のある山寺にしたいと思っている。