<直葬>というお葬式について 


 最近、葬儀場に行くとBGMに「冬ソナ」のテーマを流していることが多い。

 時々、「韓流ドラマはお葬式に関係ないだろっ!」とツッコミたくなることがある。
 多分、葬儀社にとってはそれらしいムードが大切なのであって、厳密に仏教的である必要は無いのだろう。
 
 昔の葬儀には「書き物」と呼ばれる一連の必需品があった。笠袋、杖袋、四旗などである。これらは紙で作られたものの上にお坊さんが決まった梵字などを書き加えるのだが、最近は葬儀社がこうした「書き物」を持ってこないことが多い。葬式の簡略化と脱仏教による葬儀がどんどん進んでいると感じられる。

 産経新聞では昨日から「今から考える葬儀のこと」という記事が掲載されている。

 昨日は<直葬>について。

 <直葬>というのは儀式を行わず火葬のみで済ませることである。不勉強でお恥ずかしいが、昨日、初めてこの言葉を知った。

 かっては身寄りの無い人や貧困者が中心だったが、資産の有無に関わらず、今日では都市部を中心に広がっているという。

 東京では葬儀の2、3割を占め、地方でも5〜10%を占めると書かれてあるが、にわかには信じがたい。身近では一度も見聞したことはない。だが葬儀を簡略化する傾向は以前から見られるのも事実である。

 かっては自宅で葬儀を行うのが普通だったが、今日ではホール葬が主流である。
自宅葬→ホール葬→家族葬直葬という流れがあるように思う。これは伝統的な葬儀の在り方がだんだん希薄になることと一致しているように思う。

 高齢化社会になると仕事や近所の付き合いが減り、葬儀の規模が小さなものとなるのは避けられない。また儀式より個人との別れを重視したいという人々の存在も理解できなくは無い。
 だが、「遺体を手っ取り早く処理したい」とか「とにかくお金をかけたくない」という人々の存在は気になるところである。また高齢者の多くが「家族に迷惑をかけたくない」と考えるのも半分は納得できるが、お金が無いのならともかく何をそんなに遠慮するのかと言いたいこともある。

 お葬式が無くなるというのはお寺の存在意義にもかかわる問題である。

 都会では独僧といってお坊さん一人で葬儀を執り行うことも多いが、地方では役僧や伴僧といって数人のお坊さんを伴って葬儀を執り行うことが多い。
 最近は地方でも独僧で葬儀を行ってほしいという希望も多い。

 役僧(伴僧)としての収入はお寺にとっても大きなウエイトを占めているし、葬儀そのものが無くなれば、お寺の経済基盤にとっては深刻な問題になる。

 葬儀の形式が変化している背景には社会の少子高齢化、葬儀費用の高額化、宗教観の変化など沢山の要因があるようである。

 それにしても、亡くなって、そのまま火葬場に直行して、それで終わりとはあまりに寂しい気がする。

 住職に昔の葬儀の様子を尋ねると、村中の多くが葬儀に関わり、1日がかりで執り行われたという。最近は住職に昔のお葬式の様子を少しづつ聞いて整理しているが、昔は人の死というものがとても丁重にしめやかに行われていたと感じられる。

 これからも日本人の葬儀は大きく変化していくだろう。
 だが変化の全てが必然ではないし、なぜ変わりつつあるのかしっかり見極めることはとても大切だと思っている。