秋の声

  
 昨日、大阪へ行ったときに大型書店で立ち読みをしていたら、江原啓之氏の新刊「傷つくあなたへ」(集英社)※が平積みになっていたのでパラ読み。

 最近、<心の傷>ということについてよく考えていたのでちょっとタイムリーな感じがした。
 過去に体験した不快な出来事やとそれによって生じたマイナスの感情はしばしば私達の人生を決定付ける。どうしたらそれらを乗り越えることができるのかというのは心という問題を考えるうえでとても大切だと思っている。

 「傷つくあなたへ」には<心の傷>という問題について、いろんな角度から書かれていたが、<傷ついたのではなく磨かれたのだ>という一節があって心に響いた。結局、この本は買わなかったが(笑)なかなか良いことが書いてあるなと思った。

 私は人間が心の傷だと思っていることのかなりの部分は思い込みではないかと思っている。
 それが思い込みではなく、正に傷ついたと感じることが、仏教でいう<無明>であり、私達が(仏教的な意味での)智慧というものを獲得できていない証左だと思っている。


 自分がこれまでに傷ついたと感じたいろんな出来事を思い起こしてみると、当時は辛くて苦しくて悲しかったことが、今の自分に大きな糧になっているなと思うことが多い。懐かしく、微笑ましく思い出されることもある。そんな自分の姿を振り返るとやはり様々な経験によって<磨かれた>ということを実感する。


 数日前、夜中に物音で目を覚ました。
 とりとめのないことを考えているうちにいろんなことが頭に浮かんで寝付けなくなってしまった。

 1時間ほどして、何年か前にあった悲しい出来事がふと思い出された。そしてその悲しさを感じている時、窓の外で秋の虫が絶え間なく鳴いているのに気付いた。

 秋の虫の音の響きを感じると、悲しかった出来事が一層、悲しく感じられた。
 さらにしばらくその感覚を味わっていると、その悲しみがまた別のものに変わるのを感じられた。虫の声を聞いて決して悲しみが無くなったわけではないのだが、悲しいという感情が間違いなく別のもの変わっていた。

 少し不思議な体験だった。



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