老僧のデータベース

先日、住職と一緒に地元の大寺の法要に出仕(しゅっし)させて頂いたが、住職もかなり高齢なので、一緒に大きな法要に出仕できるのもこれが最後だろうと思うと少し寂しくなった。

いろんな行事のひとつひとつが最後かもしれないと思ったりする。
コメント下さった大威徳様の仰るように親孝行はやはり大事だと思う。

私は20年近く親元を離れて暮らして、その間、親不孝をしたと言われればそれまでだが、いろんな仕事をし、いろんな本を読み、他人に給料を貰うという生活をできたことが今とても役にたっている。

お寺の子弟に生まれて、宗門の学校か本山に入るようなお坊さんも絶対必要だが、世間を縦横斜めから見た経験のあるお坊さんもやはり必要である。

うちの山寺は典型的な田舎の貧乏寺で、おまけに戦争の前後は社会全体が貧しくそれは苦労したそうである。

年配のお坊さんを「老僧」とか「老師」と呼ぶことがある。
これは中国文化の影響である。日本語で「老」という言葉は<年老いた>という意味が強いが、中国語の「老」(ラオ)は<尊敬すべき>とか<経験を積んだ>というニュアンスが強いように思う。

 住職は機械や横文字には滅法弱いがとにかく昔の出来事を正確に記憶している。
 檀家さんの名前を挙げると、出身地、年齢、職業、家族構成、屋号、人柄などなどがすらすらと出てくる。私はこれを「老僧のデータベース」と呼んでいる

 昔のことも実に良く覚えているが、特に面白いのが戦時中の話である。

 私の住む舞鶴は軍港として栄えていたが、終戦後、浮島丸という船が機雷に接触して爆沈したという大事件があった。大勢の犠牲者の出た悲惨な事件である。

 機雷というのはブイのように海に浮かんでいるイメージがあるが、これは米軍が航空機から投下するのだという。大きさは大型の冷蔵庫ぐらいあって、それが落下傘で降りてくるのだという。まるで映画のような話である。

 気流の関係でこの機雷が山に落ちることがある。
 するとみんな一斉にこの機雷に取り付いて、ロープや落下傘をはずして、再利用するのだという。物資の乏しい時代で、丈夫なロープや布が重宝されたという。

 なんだか夢のような話である。

 最近、夕食の時間になると昔の話が出る。
 それを大人しく聞くのもささやかな親孝行のもりである。