最も古い…

数日前は久しぶりに妻と小浜にドライブして「濱の四季」※で夕食。

 ここのご飯はもともと美味しいのだが新米の時期なのでお米の味が一層美味しかった。美味しいご飯に美味しい味噌汁そして野菜がたっぷり入ったお惣菜。後は何をか言わんやである。
        ※ http://www.city.obama.fukui.jp/mermaid/hamanoshiki/

    
 食事の後、小浜からさらに車で15分ほど離れた所にあるショッピングセンター「プラント2」で買い物をした。ここはアメリカ映画に出てきそうな巨大な売り場に品物が並んでいて、見ているだけで楽しい。田舎に暮らすようになると、コメリのようなホームセンターへ出かけるのが楽しみになるが、プラント2の規模はその比ではない。

 前から探していた防犯ブザー(賽銭箱用)を買った後、雑誌売り場で「ホラー映画クロニクル」(TVnavi特別編集)という雑誌を発見。
 ケレン味たっぷりの表紙(写真では分かりにくいが表紙全体が虹色に光る)に魅かれて久しぶりに衝動買いした。
 
 寝る前にパラ読みしているのだが、ホラー映画に関する作品、監督、俳優について膨大な記事が収められていて飽きない。
 何しろサイレント期のホラー映画とかインドネシアのホラー映画に関する記事まであって全時代、全地域の情報が集められているといっていい。

 ホラーの感覚というのは人間にとって無くてはならないものだと思っている。
 ホラーというのは一見、浅くて薄っぺらな娯楽に思えるが、ある意味、人間の本質に関わるのではないかと思うことがある。



 昨日、漫画専門の古書店を舞台にした芳崎せいむ氏の「金魚屋古書店 3巻」(←今、「飢狼伝」に次ぐお気に入りの漫画である)を買ったら、冒頭は楳図かずお氏の作品を巡るお話である。

 子供の頃、タイトルは忘れたが「雪女」に関するホラー漫画を読んで強烈な印象を受けた。
 今から考えると紛れもなく楳図かずお氏の作品である。
 10年ほど前に高田馬場の古本屋で買った「漂流教室」を全巻読んで思わず涙したことを思い出した。当時も大傑作だと思ったが、また読み返したくなった。

 「ホラー映画クロニクル」の冒頭にはH・P・ラブクラフトの言葉が引用されていた。

 恐怖は人類の最も古い感情である
  Fear is human race‘s oldest feelings.

 多分、恐怖という感情は最も深く人間の心に訴えかける力を持つのではないかと思う。
 もし生物が恐怖という感情を持たなければ、簡単に他の生物に捕食されてしまうだろう。恐怖という感情を持ち、その恐怖から逃れるために必死で逃げ、本気戦わないと生き残ることはできない。

 そういえば楳図作品では怖いものに追いかけられて逃げるという描写がとても多く描かれる。
 同氏は数々のホラー漫画を上梓したのち、「まことちゃん」という強烈なギャグ漫画を発表したが、多分、笑いと恐怖とは意外に深いつながりがあるように思う。

 肥溜めに落ちて○ンコまみれになったまことちゃんが友達に駆け寄るとみんな必死の形相で逃げ出す…といった笑いはやはり恐怖の裏返しから生まれる笑いである。

 少し、話が飛躍するが、最近考えているのが<層状性>ということである。

 私達の意識とか身体は一見、統一されて存在しているように見えるが、丁度、地層が古いものから新しいものへと重なっているように、いろんなレベルのものが重なっていて、相互に影響しあっているのではないかということである。

 少なくとも、感情や意識についていえば、恐怖はもっとも古い層に入るだろう。
 それよりも深いところに別の意識や感情は存在するのだろうか?
 或いは人間は恐怖に代表される深い心の瑕や闇を乗り越えることができるのだろうか?

 ホラー作品も全然、仏教と関係が無いわけではないのである。