進化しすぎた脳

 
             【お知らせ】
       昨日、山寺のHP更新致しました。
       宜しければ御笑覧下さいませ
      http://ujimaccya69.hp.infoseek.co.jp/

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新米の季節である。

何軒かの檀家さんが自分の田んぼで獲れたばかりの新米を届けて下さった。
とても有り難いことである。同じ地元のお米でも微妙に味が異なるのが面白い。

兼務しているお寺でも人に貸していた田んぼが帰ってきたので、今年から檀家総代さんにお願いしてお米を作ってもらった。暫く前に収穫したお米を届けてもらって、最近はそのお米を頂いているが、やはり美味しいものである。

収穫したお米はモミが付いて、食べるぶんだけ精米所でモミを取って、玄米にし、さらにその玄米を白米に精米する。
 最近はコイン精米所という無人の精米所ができているのである。総代さんお勧めのコイン精米所というのが山寺のそばにあるので、先日初めて住職と出かけた。あたりに人家の無い山道の脇にプレハブがぽつんと建っていた。

車を降りると、ものすごい獣の匂い…。
イノシシの匂いである。もうちょっと具体的に表現するとイノシシの排泄物の匂いなのである。イノシシは柔らかい排泄物をあたりに撒き散らすのですぐに分るのだ。(ちなみにイノシシの排泄物というのはやっぱり豚の排泄物と良く似た匂いがする…)

暫くして思い出したのはイノシシは米ぬかが大好物であるということである。
 イノシシに罠を仕掛けるときは米ぬかを撒くというのはハンターのお約束である。精米所の周りは当然、米ぬかの匂いがプンプンするのでイノシシが毎晩その素敵な匂いに引かれて周囲を徘徊しているらしいのである…



最近、寝る前にパラ読みしているのが池上裕二氏の「進化しすぎた脳」(講談社ブルーバックス)。

サブタイトルに「中高生と語る〔大脳生理学〕の最前線」とあるが、本書は筆者が中高生を相手に最新の脳科学について語った講義録である。語り口は優しいが、内容はかなり本格的である。

被験者にボタンを与えて、好きな時にボタンを押してもらう…たったこれだけの実験でも実は大変ショッキングな結果をもたらす。

なぜならこの実験で脳の活動を調べると、まず「運動前野」という運動をプログラムする部分が動き始めて、それから1秒ほどたってから「動かそう」という意識が表れているのだという。

私達は自由な意志というものの存在を信じて疑わないし、そうした自由な意思が妨げられることを強く嫌悪している。
だが脳科学の解き明かしているのは自由な意思などというものは存在しないのではないか?という問いかけである。私達は無意識や潜在意識に操られているのだろうか?少なくとも私達は無意識や潜在意識の圧倒的な影響のもとに生きていることは間違いないだろう… これは怖いとも言えるし、不思議とも感じられる。少なくとも常識の通用しない世界である。

 話は変わるが中国医学では「意が気を導き、気が血を導く」とされる。即ち

   意→気→血

という流れである。ところがこの実験結果によれば<意>の前に別のものが存在することになる。無意識や潜在意識を<意>と呼ばないとすればそれは多分、<気>に近いものと思われる。すると以下のような流れになる。

  気→意→気→血

「意が気を導き、気が血を導く」というのは東洋医学では最も基本になる考えなので、これが根底から覆るとしたら大変なことである。

 仏教というのは心や意識に関する学問を含むと同時に、自分が具体的にどのように生きていくか?ということを問うことなしには成立しないと思っている。そして心について考えようとすれば大脳生理学の存在を無視することはできない。

 大脳生理学というのは大変なスピードで発展し続けているが、同時に意識や脳という存在の全体から見ると圧倒的に未知の部分が多い。

 大脳生理学と仏教や東洋医学は両立するのか?というのはとても面白い問いだと思っている。