確信犯の神罰

本日の午前中は法事が1件。

当地では家でのお勤めの後、お墓へお参りするのが通例だが、案内してもらったお墓は市内の小高い場所にある霊園だったが、眼下に小学校を見下ろす場所にあり、本日は運動会である。
今どきの運動会なのでヒップホップ系の音楽がガンガン流れていて、お経を読み辛かった…やはりヒップホップとお経は合わない。

住職は兼務している山寺にある八十八箇所巡りの山道を補修する作業に出掛けた。
大勢の檀家さんが手伝いに来て下さったと喜んでいた。

秋の夜長という言葉がぴったりの季節である。
最近、毎日のように飲むのがショウガと蜂蜜を入れた紅茶である。
ミルクティにショウガを入れても意外に美味しいし、身体が温まる感じがする。

ショウガはそのまま冷蔵庫に入れるとシワシワの妖怪みたいになるので、すりおろしたものを冷凍庫に入れてある。毎回ちまちまとショウガをすりおろすのは面倒だし、いろいろ試行錯誤した結果がすりおろしたものを冷凍するというのが一番手軽だということになった。

寒くなって時々、気持が<陰>に傾きそうになると、買い物やイベントに出かけることがある。大型書店での立ち読みも楽しい…

車で15分くらいのところに宮脇書店という大型書店があり、時々出かける。
先日も立ち読みしていたら手塚治そっくりの絵柄でギャグ漫画を書いている田中圭一という漫画家を見つけた。どこかで聞いた名前だと思ったら、20年くらい前に「ドクター秩父山」という当時は先駆的な劇画風のギャグ漫画を描いていた方である。

手塚治といえば漫画の神様である。
その絵柄そのままに下ネタ満載の漫画を描くとは正に神をも恐れぬ所業である。おもわずブックオフオンラインで作品集を買ってしまった…作品集のタイトルは「神罰」である(笑)


この人の作品を読むと、私達は無意識のうちにとても多くのものに縛られているのだと気付くことができる。ギャグとかパロディのひとつの方向は、私達が無意識にやってはいけないと思いこんで決してやろうとはしないことを敢えて確信犯的にやるということである。かなりお下劣な内容でどうかと思うが手塚治の絵柄で下ネタを描くというアイデアと行動力には脱帽である。(他にも永井豪や本宮ひろしのパロディもある)

田中圭一氏の作品を読んでいると芸術というのは毒だと思う。
毒とはとても強いエゴである。或いは自由の徹底した主張なのかもしれない。

学生の頃、俳優志望の友人が何人かいたが、付き合うのがうんざりするほどアクの強い人間が何人か居た。だが俳優として考えた場合、「自分なんかどうせダメですぅ」という大人しい人間より「俺が、俺が」と言って前に出てくる人間のほうが絶対に面白い。

世の中のルールを守る人ばかりだと世知辛く、退屈になるし、社会全体の活力も失われる。かといって常に人目をはばからず、自分を主張する人間ばかりいる社会も住みにくい。
結局どこかにバランスを求めることになるのだろう。

お寺という場所に居ると長い時間かけて受け継がれ、積み上げられてきたいろんなものに息苦しくなることがある。
 ギャグやパロディの笑いはそんな重たさを一蹴してくれることがある。