カエルと芭蕉

この時期カメムシをよく見かける。
隙間を見つけるともぐりこんでじっと動かない。困るのは洗濯物に取り付くことである。人間の衣服にも好んで止まる。多分、暖かいのが好きなのだろう。

先日もポケットに手を入れたら硬いものが指に触れ、紙くずかと思って取り出したらカメムシだった…
カメムシは夜になると電灯の明かりへ低い羽音を立てて飛んでくることもある。
日中じっとしているくせに日が暮れて気温が下がってから活動し始めるのは少し不思議な気がする。

昔からの言い伝えではカメムシが異常に増えると大雪と言われている。実際、2年前の冬はカメムシが大発生した後、大雪が降った記憶がある。古の人の言い伝えどうりになったことに少し驚いた。
今年はそれほどカメムシの姿を見ないので大雪は免れるようである。


庫裏の裏山に何本かのバナナの木が生えている。
バナナの木というのは成長が早くあっと言う間に数メートルに成長する。どんなに成長しても気温が低いので小指のような実を付けるだけである。高く成長すると邪魔になるので、時々切り倒すことにしているが、すぐに芽が出てくる。どうやら地下茎で増えるらしい。

数日前、切り倒したバナナの葉を集めていたら、葉の裏に何匹も青い蛙が居るのを見つけた。体長は親指ほどでゴマを振ったような黒い斑点がある。蛙というのはどこか愛嬌があり私がとても好きな生き物である。

その時、最近はあれほど鳴いていた虫の声も蛙の声も絶えていることに気付いた。
あるものは死に、あるものは冬籠りを迎えたのだろう。
冬がもうじきそこに姿を見せている。

お坊さんのお辞儀の仕方で一番丁寧なのは投地礼(五体投地)と呼ばれるもので、蛙が一生懸命バナナの葉に取り付いている姿が何故かこの投地礼の姿に見えて可笑しかった。

最近、面白いサイトを見つけた。俳句協会が立ち上げている【現代俳句データベース】というHPである。
    
        http://www.haiku-data.jp/index.html

季語や作者を調べるのにはなかなか便利である。
現代俳句のHPなので松尾芭蕉小林一茶などは載っていないが、それでも作品の中で季節と言葉が強く結びついてひとつの姿を作っているのを愉しめる。

現代というのは不機嫌な無口か饒舌なおしゃべりのどちらかしかないような気がする。17文字の中に見渡す限りの風景も、心の深い淵も映せるというのはやはり驚きといっていいだろう。俳句を作れる人が羨ましいと感じることがある。

山寺に住んでいると、季節の移り変わりを身体に沁みて感じることがあるが、それを言葉に映せなくて少しもどかしいことがある。