極彩色の仏様

 

 今朝は境内に濃い霧がたった。
 御手伝いに車で来てくださった方によればすごい濃霧で車を運転するのが怖いほどだったとか。

 朝、霧が立つと晴れることが多い。
 昨日、極めて稀な快晴と思ったら、本日も見事な秋晴れ。
 尤も日曜日には天候が崩れるとのこと。自称「観光寺院」としてはやはり土日に晴れてほしいところである。

 庫裏の向かい側に仏像を納めた宝物殿という建物があり、拝観の希望があると私が案内することが多い。

 最近、よくお話しするのは仏像が作られた当時は極彩色に塗られていたということである。

 ご本尊の阿弥陀如来は全身も光背も総てが金色で埋め尽くされていたし、脇侍である多聞天増長天という二体の像も美々しい甲冑姿だったということである。

 最近、調査に来られた研究者の方に教えて頂いたのだが、多聞天増長天の肩に斑点のような模様が見えるが、これは毛皮を纏っているのだとのこと。
 斑点になっているので単なる色のムラなのかと思ったら毛皮だったのだ。
 甲冑の上にゴージャスな毛皮というのはかなりカッコいい。

 宝物殿には七体の重文が収められているがその中でも特異なのが快慶作の深沙大将という仏像である。

 深沙大将は特異な仏像で足に像の皮をまとい、手には蛇を握って、首には髑髏の瓔珞(「ようらく」首飾り)をしていたとされる。当山にある深沙大将は蛇と髑髏の瓔珞を失っているが、像の左手は明らかに何かを握った形をしているし、胸には瓔珞を留めていたらしい穴が2箇所開いている。

 この深沙大将西遊記のモデルになった玄奘三蔵を救ったことから仏教の守護神とされているが、西遊記の中では何故か河童の姿で描かれることが多い。

 深沙大将は砂漠で玄奘三蔵を救ったのになぜ河童なのかというのは長い間疑問だった。
 もちろんこれには諸説あるのだが、先日、拝観の方に仏像が極彩色だったという話をしていて、この深沙大将は腰に僅かの布を纏うだけなのでおそらく全身を緑か青に塗られていたのではないかということに気付いた。

 全身が青(緑)で総髪の深沙大将の絵や仏像を見て誰かが河童を連想したのではないか…そんな想像が沸き起こった。

 仏像は仏教の一部に過ぎないのだが、汲み尽きぬ面白さに溢れていると感じることがある。
 拝観の方に説明しているときに新しい発見をすることも多い。
 やはりこれも仏縁というものかもしれない。