もみじ冷え

            【お知らせ】
              
            昨日山寺のHP更新致しました。
            宜しければ御笑覧下さいませ
          
            http://ujimaccya69.hp.infoseek.co.jp/

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 突然、寒波がやって来た。
 兼務している山寺では初雪が降ったそうである。

 冷え込むともみじの色が鮮やかになるが、数日続いた好天でもう茶色に変わったもみじも多い。
「花冷え」という言葉はあるくらいだから「もみじ冷え」という言葉があってもおかしくない気がする。

 当地の空は雲が多く。時折、晴れ間が覗くことがあるがと陽光に照らされた黄色に変化したもみじに陽光が当たると、黄金のように燦然と輝く。だがそれもごく僅かな時間で、日差しが切れると、もとの鈍い色に戻る。そんな変化が繰り返されるのを見ているとやはり自然の光や色や形というのは最高の芸術であると思わずには居られない。

 一昨日は同じ御室派の御住職が高野山の布教師の方を伴ってもみじ狩にこられた。
 高野山には本山布教師という資格があり、請われると全国を巡回して法話を流布されるのである。

 私は作務衣で掃除していたのだが、若輩としてはせめて改良服くらい着て御出迎えしなければならないところ。おもわず「こんな略装でご無礼」と言ってから先方も作務衣姿であることに気がついた…

 布教師の方が名詞を下さったのだがなんとQRコードが付いているではないか!
 このQRコードから携帯用のホームページにアクセスして、メール会員になると月曜から金曜まで毎朝一口法話にメールが配信されるとのこと。法話もIT化の時代である。


 お寺の建物とか仏像指して仏教と言う人が多いが、やはりお釈迦様に始まる<教え>こそが仏教の中心なのではないだろうか。法話というのは正に何千年もリレーされて来たこの<教え>を次の誰かに手渡すことなのだろう。

 だが、マンション一室にお寺の看板が掛かっていても、あまり訪れたいと思う人は少ないだろう。

 自然の多い境内や古い伽藍に触れたとき、やはり日常には無い感覚や意識が眼を覚ますことがあるのではないだろうか。その意味で境内や伽藍を整備することはとても大切のように思える。

 一方で、日常の家庭生活の中で、普通に働き、普通に家族との生活を営みながらその中に仏教の説くところを見出すこともやはり可能だろう。

 最近は宗教というのは遠くて近いものだなとつくづく感じることが多い。

 冬になると、暖かい季節のような鮮やかな夕焼けを見ることが少ない。
 本日の夕方の空も曇りがちで、風が強かった。