<文学>と<地獄>と<漫画>と

映画「三丁目の夕日」に出てくる文士志望の青年を演じるのは吉岡秀隆氏である。

氏の演技は名演といっていい素晴らしさだと思うが、「文学」という言葉から一般に連想される人間というのは、現実的な能力が無かったり、自堕落だったり、という人物なのではないだろうか。

私が文学という言葉からまず連想するのは<魂>である。

優れた文学というのは人間の魂を激しく揺さぶるものであり、同時に恐ろしい毒を持っていて人間を狂わせもする。宗教や哲学や芸術とも深く結びついている。残念ながら最近の文学でそうした深さを感じさせるものは大変少ないように思う。

聖書とシェイクスピアは欧米では格別の存在であり世界文学の双璧であるが、それに準ずる存在としてダンテの「神曲」があげられる。

大学時代に講義を聴講させて戴いたK先生という方は仏文学、比較文学を専門とされていた。このK先生はかってはフランスの大学でフランス人を相手にフランス文学を講義しておられたという大変な方である。
このK先生が或る時「ゲーテの『ファウスト』とダンテの『神曲』は何度読み返しても新たな発見がある」としみじみ仰ったことを今でも覚えている。

ダンテの「神曲」は天才版画家ギュスターヴ・ドレの挿絵で有名である。

漫画家の永井豪氏は子供の頃ギュスターヴ・ドレの挿絵のある子供向けの「神曲」を読んで大きな影響を受けたという。
恐らく永井氏の心を動かしたのはドレの描く地獄の有様ではなかったと思われる。

いろんな方の回想の中で子供の頃見た地獄絵が強く印象に残っているという話を意外に多く見聞する。

私自身も子供の頃、博物館で観た仏教の地獄絵巻を忘れることができない。
妻もまた子供の頃読んだ地獄に関する本が忘れられないという。タイトルは「いちばんくわしい地獄大図鑑」!(笑)ネットで調べたら挿絵を描かれている画家はマニアの間では非常に高い評価を受けている方で、この本は現在大変な高値で取引されている。※

普通に考えれば、幼い子供の頃にこうした刺激的な絵画を見れば心に強い印象に残るというのは当たり前のようだが、先日、ふと思いついたのは、実は人間の意識の根底には既に<地獄>や<天上世界>の記憶があって、そうした意識の根底にある深い記憶に共鳴するからこそ地獄や天国について描かれたものが心を震えさせるのではないか…ふとそんな妄想が頭に浮かんだ。


永井豪氏の作品を読むと、永井氏の心の根底には地獄、魔人、悪魔、罪、破壊といったイメージが渦巻いているのが感じられる。子供の頃に観たドレの版画はそのイメージの深層のような存在であろう。その永井氏に時を経て「神曲」を漫画化する仕事が依頼されるというのは機縁を感じさせる話である。

私は日本の漫画を本当に素晴らしいと思うが、これからも日本の漫画家の方に内外の優れた文学作品をどんどん漫画化して欲しいというのが密かな願いなのである。優れた文学の持っている強い力が漫画と結びついた時に生まれる感動というのは魂を震わせる素晴らしいものであると思う。

    ※http://shun50.cool.ne.jp/jaguar3.htm