海と星と神と
昨日、海辺の禅宗のお寺でご祈祷をしたのだが、ご祈祷したお札の一部を間違えて山寺に持って帰ってきてしまった。本日の午前中に慌ててご祈祷したお寺まで届けに行った。
この時期、似たようなお札をいろいろご祈祷しなければならないので結構、ややこしいのである…
禅宗のお寺は海を見下ろす小高い位置にある。
お札を届けた後、海岸線まで車で行った。冬場なので釣り客もいなくて閑散としていた。海岸線に車を止めてエンジンを切ると波の音がはっきり聞こえた。風が強いので荒く、険しい音である。
海面から突き出した荒い岩場に松の生えているのが、見ていて心地良かった。
ご祈祷の後、村の公民館で食事をお接待して頂くが、当地の古い風習を伺うのが毎年の楽しみである。昔は正月に紋付を着てお寺にお参りに行ったそうである。
昔はそうして威儀を正してお寺に参ることも行われていたと聞くと、漁村というのはやはり特別な信仰を持った地域なのだと思わずにはいられない。
漁村の方は概して信心深い。その理由は嵐などで難破したり遭難することが多かったり、また豊漁や不漁が左右されることから人間の知恵や力を超えた神仏というものに頼らざるを得なかったのだろう。
昨日、山寺に帰ってからふと思いついたことがある。
海洋に出て漁をしたり、長距離を航海した人達は太陽、星、月といった天体で方角や位置を知る必要があったと考えられる。(なにしろ古代は日本海を内海として盛んに大陸と交流していたくらいであるから相当長距離を移動していたと考えられる。)
日月や星辰に強く意識を凝らす必要があった生活は必然的に何らかの宗教的な意識や感応が生まれる素地につながったのではないかという考えが思い浮かんだ。
そう考えると、例えば天体を頼りに危険な砂漠を旅するような人達もやはり同様な感性を得たのではないかと思われる。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など歴史的に重要な宗教は砂漠に関わりを持つ。
本日、ブックオフオンラインから注文していた本が届いた。
そのなかにリサ・ランドールの「異次元は存在する」(NHK出版)があった。中古で150円とは安いので買ってしまった。リサ・ランドールはハーバード大学で宇宙論を講じる俊英である。
本当はアメリカでベストセラーになった「ワープする宇宙〜5次元時空の謎を解く」のほうを読みたいのだが600ページと大部でありまとまった時間もとれないのでとりあえず本書で前哨戦のつもりである。
天文学者や宇宙物理学者達もまた天体に強い意識を向ける。
そこにから宗教的な感性や感応は生まれるのだろうか。興味深いことである。