向春の候

HPのトップページには雪の残る境内が写っているが、ここ数日の暖かさで雪がほぼ消えた。

1週間ほど前からようやく春が来たという感覚がある。といっても朝は結構寒いのである。雪で随分と竹や木が倒れたり折れたりしたが、墓苑に何本か竹が倒れこんでいるので切るように住職に言われた。

墓苑に行こうとすると日陰の草地は霜で真っ白である。上を歩くとしゃりしゃりした不思議な感触が伝わってくる…


(手前に潅木の葉っぱのフチにも霜が付いているのだが分かるだろうか?)


霊園に倒れかかった竹を切っていると竹の中に溜まった水が凍った塊がごろりと出てきた…


真冬ならそれらを見ただけで寒さが身に沁みるのだが、この時期はもうそんな感覚はない。
寒いことは寒いのだが、もう春なのだというゆったりした安心が心のどこかにある。

東京に居た頃は自然を身近に感じることがなかったが、ある日突然、「今日は春になったなあ」と感じることがあった。何かが大きく切り替わるのが感じられたのだが、山寺にいるとそんな感覚は無くなった。もっと細やかに春が来るのを感じる。地面の温かさとか、冬枯れの枝にいつの間にか蕾で満たされていたりとかである。


昨日、NHKのラジオで面白い葉書が読まれていた。

 受験生の子供に合格祈願のお守りを買ってやろうとしたら「そんなので合格したら誰も勉強する必要がない」と言われたというのである(笑)ところがその息子はいつの間にか湯島天神へ一人で合格祈願に行きお守りを2つも買ってきていた。そして息子はめでたく志望校に合格できた…

神仏のご利益について説明するのに一番分かりやすいのは<合格祈願>ではないだろうか。
神社や仏閣で<合格祈願>を受けても勉強しなければ試験には受からない。当たり前である…だが<病気平癒>を祈願しながらきちんと養生しない人や、<恋愛成就>を祈願しながら男(女)を磨かない人は結構いるのである…

私も若い頃は神仏の力など考えもしなかったがこの仕事に就いてようやく少しだけ分かってきた気がする。
願いが成就するためにはまず努力あるのみである。だが自分の努力の背後にはご先祖様や神仏のご加護というものがやっぱりある。ご先祖様や神仏に心を向けるとそうしたご加護は間違いなく届きやすくなる。何より神仏やご先祖様が自分が知らないところで助けてくれていることは沢山あるのだから、そのことに感謝する必要がある。

今年のお正月に或るテレビ番組でビートたけし氏が伊勢神宮に御参りする様子が放映されていたそうである。観た方によれば伊勢神宮にお参りしたビートたけし氏の感想は「ここにくると自分の願いごとをかなえてほしいというような思いはなくなって、とにかく感謝したいという気持ちになる…」というものだったそうである。やはり感性の豊かな方だと思う。

最近は成功したいという人が一杯いるが、成功者といわれる人に感謝や謙虚を感じることがあまりない。どちらかといえば「全部、俺の実力だスゴイだろっ!」という人のほうが多い気がする。

自分の努力以外の力が自分の人生に働いていると思うと勇気も湧いてくるし、感謝や謙虚の念もおこると思うのだが…