白菜の花咲く頃

最近、住職は「忙しい、忙しい」と毎日のように兼務しているT寺に出かけていく。

昨日、久しぶりにT寺に行くと、粗末な作業着を着て一生懸命畑で働く住職の姿があった。
忙しいというのは畑仕事なのである。私としては他にやることがあるので畑仕事は住職にお任せである。

この時期は耕運機で畑を耕すのだが、暖かくなって畑の土が十分乾いてからでないといけないのである。

水分の多い土を耕運機で耕すと、土が団子状に固まってしまいその年は作物を作るのにいろいろと支障があるのである。
昨年、せっかちな義弟が早々と畑に耕運機を入れてしまい失敗したのだが、義弟は今年もまた別の畑を耕してしまい、やはり畑の土が団子になってしまった…

義弟は無類のせっかちなのである。
住職も相当せっかちなのだが、そのせっかちな住職が「せっかち」というくらいだから義弟は余程のせっかちである。

ところが家族で延々と手間隙かけて作物を作っても結局、食べきれなかったりすることが多い。
昨日もT寺の畑に行くと取り残した白菜に黄色い花が咲いていた。

 私としてはなんか物凄く無駄なことをしているような気がするのである…

 今日もこの山寺の門前の畑に行くと、畑の外に取り残した蕪が捨ててあった。
 蕪の茎には黄色い花が咲いていた。いつごろ捨てられたのか黄色い花は少し太陽のほうに花をもたげて一心に咲いていた。蜜蜂が数匹蜜を採っていた。


 やっぱりなんかすごく無駄なことをしている気がする…

 私としては畑作りはお寺のこととは切り離して考えたいのだが、住職はそれができないらしい。毎日忙しそうに働いている。もっとも一心に畑を作り、楽しそうに働く住職の姿から何かを感じる人がいるのも事実である。農業を営んでいる檀家さんにとっては住職がよれよれの作業着を着て働く姿に共感を覚えるらしいのである。

 もっともそこまで住職が計算して働いているとは思えない、やっぱり単に畑仕事が好きなだけだと思うのだが…