静心なく花の散るらむ 

 境内の向かいにある公園の桜は満開で朝から大勢の方が公園の散策に来られた。
 風が吹くとはらはらと花びらが散る。東京の桜も満開だそうである。

 学生時代に暮らした安アパートのそばに神田川が流れていた。この時期になると川べりの桜並木が見事だったのを思いだす。桜の散り際には川の表を花びらが埋め尽くして流れていった。

 公園の向かいにあるお寺の境内はひっそりとしていた。

 

 先日、ラジオのある番組に若手の講談師の方が出演しておられた。
 この方はビジネス講談という新しいタイプの講談を得意とされている方で、いろんな企業へ出かけて講談をされるそうである。

 この方いわく「その会社がどんな会社かはお茶の出し方ひとつ、受付の対応ひとつでかなりの部分が分かる」とのこと。
 なかなか興味深いお話である。


 いくら立派なお寺でも応対が横柄だったりしたら台無しである。

 学生時代に2日かけて奈良のお寺を一人で廻った。
 いろいろ楽しい思いをしたり、感動的な仏像に出会ったりと良い経験をしたが、2日目の最後に訪問した或るお寺でどういう勘違いからか、受付の女性に散々な言葉を投げつけられてしまった。おかげで2日間の楽しい思い出にバケツで冷水を掛けられたような気持ちになった。



 お寺に来られた方にはできるだけ声を掛けたりするようにしている。参拝に来られる方との会話からいろいろと発見のあることも多い。

 面白いことに、私の応対する50人に一人くらいの割合で或るタイプの方に出会う。

 どういう方かというとお寺にお参りする理由が観光でも、願い事でも、歴史や仏像への興味でもなくもっと別の理由でお寺に惹かれる人たちが居るということなのである。

 風体は普通の方なのだがどこかにお坊さんの雰囲気を持った人である。
 こうした方達は何か本質的なところでお寺に惹かれる人達なのである。こういう方達が存在するというのは興味深いことだと思う。
 
 本日もそうした方が一人見えた。
 この方の訪問を受けたのは2回目である。初老の男性で仕事で単身赴任中とのこと。
 前回来られた時は妻が留守番をしていたのだが、宝物殿を拝観されて、長い間妻にいろんなことについて話されたそうである。

 今日、たまたま私が居る時にこの方が見えたので、私が宝物殿を案内していろいろお話しすることが出来た。

 自分の人生について深い疑問を持ち、その答えをお寺に求めてこられた方だった。

 深く、重い問いかけにタジタジとなったが、私の分かる範囲で一生懸命にお答えした。
 まだまだ役不足だが、私はお寺の存在意義はまずこうした方達の為にあると思っている。

 この方は随分いろんなお寺を廻られるがお坊さんと直接お話されたことが殆どなく、今日は私といろんな話しが出来て良かったと喜んで帰っていかれた。

 山門までこの方を見送ると、桜見物の人達が楽しそうに歩いていた。