池田弥三郎「性の民俗誌」を読む

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  【山寺の本棚】

 最近、寝る前にパラ読みしているのが講談社学術文庫から出ている池田弥三郎「性の民俗誌」である。これが滅法面白い。

 今まで何気なく読んでいた神話や民話の中に性にまつわる深い由来があることが分かっていく。何度も本を置いて「うーん」とため息をついた。こんなことは久しぶりである。単に性にまつわる習俗や奇習を集めただけの本ではないのである。

 この本を読んでいるといろんなことを考えさせられるが、改めて感じるのは戦後の日本人の頭には<差別>とか<抑圧>とか<支配>といった観念がいつの間にか深く染み付いて、真っ直ぐものを見ることができなくなっているということである。

 何かを論じる場合それが事実にもとづいているか、さらに事実に基づいて正しく論じられているかという2点は常に問われるべきだろう。

「女性は差別されてきた」という有名な?神話についても再考の余地が大いにある。

 例えば生理が血のケガレとして不浄視され、女性差別の根拠となった…ということが多く説かれるが、地域によっては女子が初潮を迎えると赤飯を炊いて盛大に祝い、地域の男子にご馳走を振舞って、女として一人前となったことを披露することもあったそうである。これなども生理を不浄と観ていない端的な例である。

 或いは生理になった女性は<ケガレ>として仕事から除外されるが、実態としては仕事を免除する<生理休暇>になっているといった例なども挙げられている。

 根拠の無い、非科学的な迷信によって女性は長く、不当に差別されてきたというようなことを私達は長く信じ込まされてきたように思う。その全てが誤りとは言わないが、健全に疑うということはとても大切なことだと思う。

 広く、深く観れば実は女性が大事にされていた事例も数多くあるのである。

 「男女共同参画社会」という言葉がよく使われるがこの言葉が果たしてどれくらいきちんと考えられているのか少々心許ない。差別されている女性にも均等に機会を与えてあげましょうという…というような根の浅い言葉に聞こえるのは私だけだろうか。