松田聖子の魔力
【Youtube漂流記】
私達の世代にとって松田聖子氏というのは大スターの風格がある。
私自身は松田聖子氏そんなに好きだったわけではないのだが、たまたま車にCDが置いてあって聴いているうちにハマってしまった。
若い頃の聖子氏は(死語で恐縮だが)「ぶりっ子」とか「カマトト」などと揶揄されることがあった。
彼女の歌を聴いていると確かに<甘える>という情感がひしひしと伝わってくる。
ところがこの<甘え>が一筋縄ではいかないのである。
女子高生が憧れの先輩に甘える
恋愛中の恋人に無条件で甘える
女子高生が同年代の男子をやや年上の感覚で下に見ながら甘える
大人の女が大人の男に甘える
別れを予感しながら甘える
などなど…これらが全部別々の<甘え>として表現され、使い分けられているのである
聖子氏の<甘え>を使い分ける表現力というのはスゴイものがある。
そして聖子氏の<甘え>には憂いや、淋しさがあっても決して暗い自己否定には陥らない。
ベースにあるのはどこまでも心地よさである。そして松田聖子氏自身の持っている芯の強さや前向きさがどこかしら伝わってきて、聴いている私達も心を癒され、元気になる。
日本文化の特質は<甘え>だとする有名な日本人論があるが、その当否はさておき、私達日本人は甘えたり、甘えられたりすることに独特の感性を持っているのではないかと思う。
日本人の<甘え>の感性を刺激し続ける松田聖子氏というのはやはり只者ではない。