カブトムシその後
昨日、カブトムシの幼虫を引き取りにこられた校長先生から丁重な礼状が届いた。
「子どもたちは興味津々で、たちまち黒山のひとだかり」とのこと。嬉しい限りである。
こちらの小学校ではアリジゴクの観察をされているとのことだったが、頂いた観察レポートを読むと「動物の本能的行動の数理解析」「アリジゴクのクレーター行動とその進化」「動物行動学」などなどの用語がずらっと並ぶ超本格的なもの。脱帽である…
夏になるとカブトムシが灯りに誘われて飛んでくるが、全てメスである。
<メス化する自然>というのが一時期問題になったがそのことと関係があるのか、ないのかその辺も調べて頂きたいと思っている。絶滅の危機に瀕して<生む性>を残そうとしているのか、温暖化の影響なのか、それとも(人間と同じで)メスのほうが逞しいのか…
私が暮らしている山寺は父が住職になってまだ20年ほどである。
私が子供の頃は父の生家である多禰寺という山寺に行くことが多かった。
このお寺は山の中腹にあって、夏になればあらゆる種類の昆虫や小動物がいつ身の回りに溢れていた。それがここ最近はめっきり少なくなったように感じている。
オニヤンマもミズスマシもアメンボも蛙もメダカも随分少なくなった。
広くて深い自然が自分を取り巻いていて、数え切れないほどの<いのち>が溢れ、自分もまたその<いのち>一部である…そんな感覚を今の子供たちは多分持っていないだろう。
「昆虫を捕まえるというのは五感を働かせなければならないのです」と校長先生は仰っていたが、そうした体験も今の子供たちは失いつつある。
代わりに金融教育と称して札束や金塊を触らせたりするというようなどこか歪んだ教育が行われつつある。
子供の頃、いろんな生き物に触れたり、観察したりして<いのち>に関わる驚きや感動を体験することはとても大切なことだと思っている。そしてそこから何かを感じ、大人になるまで失わないで欲しいと思っている。
頂いた礼状には今後は「カブトムシの本能的行動も研究対象に…」と書かれてありこれからが楽しみである。
ウチの山寺は自然が一杯なので是非研究のサポートをさせて頂きたいと思っている。