怪異なるものの真実 松谷みよ子「現代の民話」
【山寺の本棚】
Youtubeの画像を観ていたら、ブロッケン現象の映像があった。
雲の中に巨大な人の影が映し出され、仏像の光背のような光の輪が現れる。映像では初めて観たのでしばし見とれた。
この現象は海外では「ブロッケンの怪物(妖怪)」と呼ばれるが、日本では阿弥陀様の来迎と考えられていたという。純然たる自然現象だが、やはり不思議の感に打たれる。
【剣岳のブロッケン現象】
【飛行機の機影のブロッケン現象化】
私が子供の頃はそれまで怪異とされていた現象に次々と科学的な説明が加えられていたように思う。それが「正しい態度」だと考えられていたのだ。
もちろんその一方で数々のホラー、オカルト、SF、怪談、伝説、都市神話…といったものも隆盛で、私自身そういったものにとても惹かれる子供だった。
最近、寝る前にパラ読みしているのが松谷みよ子氏の「現代の民話」(中公新書)
- 作者: 松谷みよ子
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2000/08/01
- メディア: 新書
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民話というと「浦島太郎」とか「鶴の恩返し」などのイメージが強いが、本書では明治から昭和にかけて庶民が言い伝えた様々な民話が収録されている。
狐や狸が開通間もない汽車に化ける話、河童が公害汚染を訴えた話、烏が僧侶になって戦死者を弔う話…
民話というものが今もふつふつと生み出され、また現代の日本人の心が近世以前の日本人の感性と脈々とリンクしていることが実感される。
私達はいつの間にか<科学的>なるものを絶対に正しいと信じ込まされているのではないだろうか?そして宗教も神話も民話もそれを信じたり、伝えたりすることに躊躇や気恥ずかしさを覚え、あるいははっきりと拒絶すら示すようになっている。それは何かが違う気がするのである。
人間の本来の在り方、人間の真実の姿を追求しようとすれば、常識や科学に収まりきらない何かが現れるのではないだろうか…
松谷氏の視点には国家や制度を毅然と拒絶する感じがあって正直言うと、その点にだけは違和感を覚えるが、民話というものを伝えたのが庶民なら、徹底して庶民の立場に立つという姿勢を貫くとやはりそういった思いを超えられないのかもしれない。何より、松谷氏の情熱の熱さと感性の深さによって救い上げられ、記録にとどめられた民話や伝説の数々は末永く残るであろう。その著作の数々は偉業と呼んで差し支えないように思う。
民話というのは子供のものでも、過去のものでもない。私達の心の深い場所の在りかを映してくれる鏡のようなものではないだろうか。