千手観音様の手の数はいくつ?

いつもコメント頂くHONEY様から一次試験の難関を突破したとの嬉しいお知らせ。
幸先(さいさき)が良いように観音様の話を書くことにしよう。

九州の国立博物館に一度だけ行ったことがある。なかなか壮大なスケールで見応えがあった。以前この博物館に展示されたチベットの千手観音様の記事が ネットに載っていた。なかなか有難いお姿で、ご利益がありそうである…

九州国立博物館ブログ】http://kyuhaku.jugem.jp/?day=20090604

兼務しているお寺の中にもご本尊が千手観音のお寺がある。
沢山の手が造られるというのは、いろんな世界のいろんな人達を救うためである。
<仏様は誰でも助けて下さいます>と言われるより、やはりこうして沢山の手を持った仏様のお姿を拝見すると、やっぱり助けて頂けそうな気がしてくるではないか。形に現された説得力というものを感じる。

有名なところでは阿弥陀様をはじめ多くの仏像は指に間に水かきのようなものがついている。(専門的には「縵網相」という)これもまた私達を<もれなく>救うためと説明される。尤も大学の美術史学の先生が

「指が折れないための補強」

 という身も蓋も無い説明していたが…

 私達は常に悩みや苦しみを抱えているが、同時にその私達を救って下さる対象を信仰の対象としてきた。
 では願いがかなったらもう信仰は必要ないのだろうか…

 やはりそんなことは無い。幸福であってもやはり信仰は必要だろう。それより幸福も不幸も超えたところにある信仰の存在というものに近づけたら…というのがささやかな願いである。

 もし人間に不幸が存在しなかったら実は幸福というものも認識できないのではないか?

 と考えたことがある。それは暇人の妄想なのか、それとも真実なのだろうか?信仰を持ちつつ、自分の信仰を確かめ、この世での努力をきちんと果たす…そんな生き方をしてゆきたいものである。