映画館に神降臨?

 本日は小学2年の甥っ子とポケモンの映画「アルセウス超克の時空へ」を観に行った。甥っ子とポケモンの映画を観るのは3回目である。

 これまで観たポケモンの映画には「神と呼ばれし」ポケモン達が登場した。

 時間を司るギラティナ、空間を司るディアルガ、現世を超越した反転世界に生きるパルキア

 今回はいよいよ世界を創造したという究極のポケモンアルセウス」が登場である。

 世界を創造したとなるとこれは完全に宗教的な神と同義になりますね(笑)キリスト教圏でこの映画を放映したら創造主を侮辱したと問題になるのでは…と少し心配になる。

 このアルセウスを演じる声優はかの美輪明宏氏である。
 これがハマりすぎて怖いくらい…いい仕事されてます。「もののけ姫」では300歳の山犬の長モロを演じておられたが今回は威厳と慈愛と超越を感じさせる強烈な存在感を示しておられます。

 何しろこのアルセウスギラティナディアルガパルキアという究極のポケモン達が束になってかかっていっても寄せ付けないのだからメチャクチャ強いです。昔の朝青龍状態です。ストーリーもスケールが大きく最後のところではやっぱりホロッとさせられてしまいました。


 
 子供の頃、両親をはじめ叔父や叔母達がいろんな楽しみを与えてくれた。
 大人達に映画や遊園地に連れていってもらったことは大切な思い出である。大勢の大人が自分に愛情を傾けてくれた体験というのは自分という人間を作りあげるとても大切なピースになっているのではないかと思う。今になってはそのひとつひとつを正確には思い出せないが、自分を大切にしてくれた大人達に感謝を覚えずにはいられない。

  <自分は人が好きである> 
  <人は自分が好きである> 
  <自分は自分が好きである>

 幼児期から大人になるまでの間にこの3つの感性を育てることがとても大切だと考えている。

 「可愛い子には旅をさせろ」と言われるように子供に<乗り越える力>を与えることもとても大切であるが、子供に生きる力を与えるのは愛情を傾けられた体験だと思う。

 いろんな大人から愛情を貰った子供というのは他人を拒絶する<殻>といったものを必要以上に作らないですむ。他人に愛されないと思うから<殻>を作って自分を守ろうとするのである。

 仏教的な立場からすれば人に愛された経験というのは心の奥にあるとても純粋で、崇高な何かを探す糸口になると思っている。


 帰りに最近開店したばかりのレストランへ入ったら広い店内にお客は私達だけだった。
 相変わらず地元が寂れているのを実感した。こちらは商売繁盛の福の神が必要である。