副住職、法話にチャレンジす

昨日は地元の老人ホームで法話を行った。

所属している地元の仏教会から法話の依頼を受けたのである。
本当は断りたいのだが、なにしろ住職歴ン十年というお坊さんがひしめいている仏教会の中で私は一番下っ端なので頼まれた仕事は断る訳にもいかない。

 与えられた時間は1間である…1時間話続けるというのは容易ではない。

 試しに時計を脇に置いて話してみた。もう15分くらい話したかな…と思って時計を見ると5分くらいしかたっていなかったりするのである(笑)1時間は長い。長すぎる…

 1時間の法話なら45分くらい喋れば義務は果たせるだろうとか、途中でトイレに行って10分くらい時間を稼ぐとか、いろいろ姑息な作戦を考えたが、とにかく話の材料を5、6個メモして老人ホームに向かう。

 老人ホームの会場には40人ほどのお年寄りが居られた。

 すぐ眼の間にメモ用紙とペンを持った男性が座っておられるのだが、よく見ると開始前から爆睡しておられる…(この方は1時間ずっと爆睡されていた)

 話を始めると、僅かだがリアクションがあったりしてなんとか1時間の法話を終えることができた。やれやれ…

 
 法話や法語という場合の「法」とは<真理>という意味である。

 私達は様々な喜怒哀楽の中で生きているが、怒りや妬み、悲しみ、苦しみといったマイナスの心が起こる根本にあるのは<真理>から心が離れることにあるとされる。

 <真理>を知るといっても日常をかけ離れたことではなくて、そのことで悲しみを乗り越えられたり、前向きの生きることができるようになったり、自分を酷い眼に逢わせた人間を許すことができたりするなら、誰もが<真理>に触れたいと思うのではないだろうか。

 いつか堂々と迷わずに<真理>について法話できるようになりたいのだが、私自身大きな迷いの中にいる以上まだまだ先の話である。


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