法事の後にお坊さんが言われた一言

法事の帰りに国道を車で走っていると対向車のトラックのフロントガラスに大きなステッカーが貼ってあった。

天上天下唯我独尊

…お釈迦様がご覧になったら苦笑いされそうである(笑)


何年か前のことである。ある檀家さん急に亡くなり、親戚の方が遠方の息子さん夫婦に電話で連絡された。息子さん夫婦は車で高速道路を走っておられて、携帯電話にかかってきた訃報を最初に聞いたのは中学生の息子さんだった。

息子さんは車が高速を降りるまで、電話の内容を知らせなかった。訃報に動転して運転を誤ることを心配してのことだった。
その話を聞いて、智慧のある子供だなとちょっと頼もしく感じた。

この話には後日談があって、この中学生の息子さんに法事で会う機会があり、少し話をすることがあった。
その時、この中学生の男の子は急にこんなことを言った

「お坊さんのような仕事は感情移入しすぎると駄目ですよね」

そういわれてどう答えるべきか言葉に詰まった(笑)少し考えてから

「…徹底的に感情移入すること、徹底的にクールになること。その両方が大事な気がしますね」

この答えがこれで良かったのか否かまだ自信があない。


先月、棚経に行ったときあるご婦人のお宅を訪れた。

そのお宅では3年前に無くなった息子さんの法事を春先に行ったばかりだった。
そのご婦人は次のように言われたのである。

自分は息子がこの世を去ったことがあきらめ切れなかったのだけれど、先日の法事が終ったらなぜか気持ちがすっきりして、ようやくその思いから開放されました…

その言葉を聴いて、私もとても嬉しく思った。法事など意味が無いという人がいる反面、こうして法事を通じて自分の断ち切れぬ思いに折り合いがつけられるというのも大切なことではないかと思った。

法事は葬儀と並んで仏事の中心であるが、当地では人が亡くなると1年忌、3年忌、7年忌、13年忌、17年着、25年忌、33年忌、50年忌などの法事を行うのが通例である。

全く逆の言葉を聴いたこともある。

ご主人の23回忌の法事をされたあるご婦人がこんなことを言われたのだ。

自分は主人のことを半ば忘れかけていたのだけれど、法事のときにしみじみと主人との様々な思い出がよみがえってきて、感謝の気持ちが湧いた…

この言葉もとても嬉しかった。

こうした言葉を聞くと法事というのは大切なものであり、良いものだなと改めて思うことがある。
もうじきお彼岸である。

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