<胸>で考える <腹>で考える

京都新聞観察日記】

 今日は兼務しているお寺へ留守番に行き、本堂のご本尊にお茶をお供えしようとしたら、ご本尊の前の畳の上に紐のようなものと真っ黒な<唐辛子>のような物体がある。
 嫌な予感がして電燈を点けると、紐に見えたのはマムシで、黒い唐辛子の正体はねずみの死骸である。(尻尾のところが唐辛子のヘタに見えたのである)

 マムシは2本の板塔婆で挟んで(←オイオイ)、本堂の外へ放したが、素足で踏んだりしたらえらいことになる。ねずみの死骸が真っ黒だったのはマムシの毒によるものらしい。今年の夏に檀家さんがマムシに手の指を咬まれたが、見る間に指先が真っ黒に変色したそうである。マムシの毒は恐ろしい…


 最近、京都新聞の連載で面白いのが火曜日に載っている。鎌田東二『身体知の旅』である。(9月29日で終了)
 鎌田氏は神主の資格を持ち宗教、民俗学、演劇、音楽、武道など活動は多岐にわたり、。「神道ソングライター」も自称しておられる。

  【鎌田東二HP】http://homepage2.nifty.com/moon21/tkprof.html

 最近、一番心に響いたのが<真言系の瞑想が足し算型であるのに対して禅宗系の瞑想が引き算型である>という指摘である。確かにこの指摘は言い得て妙であると感心した。

 ところで私たちはものを考えるときに<頭>で考えると思っている。
 だが<胸>で考えるとか<腹>で考えるというのもあるのではないかと思っている。


<頭>で考える →  論理、損得、義理、
<胸>で考える →  好き嫌い、愛情、情熱、人情、性欲、意欲
<腹>で考える →  大きな決断、人間の器の大きさ、大局的な判断

 現代人は圧倒的に<頭>で考えるようになりつつある気がする。
 同時に私たちは好き嫌いを中心とした感情で、すなわち<胸>で考えることが多くなっているのではないだろうか。

 <腹>で考えることができれば<頭>や<胸>を優先した考えを呑み込んだり、統御することができるはずだが、<腹>で考えることがあまりにも少なくなっている気がしている。


 <胸>や<腹>というのは東洋的な身体観ではとても大切なところである。

 ヨガでは体の正中線上にチャクラと呼ばれる7つのセンターが並んでいるとされて、<腹>や<胸>は大切な場所だし、丹田も下腹部にあるとされるが、腹にある丹田を下丹田と呼び、胸には中丹田があり、頭には上丹田が在るとされる場合もある。

 そしてどうも<頭><胸><腹>という3つの要素がバランスをとる必要があり、それぞれに影響しあっているらしいのである。

 これはなかなか興味あるテーマでもう少し考えてみたいと思っている。


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