「空っぽ」こそ役に立つ 〜加島祥三の「老子」〜

特定の国や民族の文化が自分にとてもぴったりくるという感覚を理解して頂けるだろうか。

私の場合は中国の文物にとても引かれるのである。
中国の言葉、風俗、文学、景色などに心を惹かれる。
前世は中国人だったかも…などと想像して楽しんでいる。

大学時代に第2外国語で中国語を選択した。決して成績はよくなかったが、中国語の音やリズムがとても心地良かった。

是非、中国語の学習を再開したいと思いながらまとまった時間がとれないでいる。
それでもブックオフで面白そうな中国語の学習のがあるとついつい買ってしまう。
先日、福知山のブックオフに行った時も2冊買ってしまった。

起きてから寝るまで中国語単語帳

起きてから寝るまで中国語単語帳

はじめての中国語学習辞典

はじめての中国語学習辞典

高校の時、漢文の授業で老子の一節を習って、ひどく感動した。
中国的なものに目覚めた最初の体験ではないかと思う。
感動という言葉はぴったりこない。心にしっくりくるというか、ほっとするような、大きく深呼吸できたような思議な感覚だった。

タオ―老子

タオ―老子

 先日、ブックオフオンラインで加島祥三氏の「タオ 老子」(筑摩書房)を買った。
 「老子」の81章を自由訳したものでなかなか楽しい。

 老子の解説書として一番深みのあるのは五井昌久老子講義」(白光真宏会出版部)だと思っているが、かなり難解で思いついた時にパラ読みする程度である。未だに読み終わらない。

 高校生の私が感動したのは「老子」の11章である。

 加島祥三氏の「タオ 老子」の中の11章の訳を一部抜粋してみる。原文は僅か数行だが、
随分長くなっている。


粘土をこねくって
ひとつの器をつくるんだが、
器は、かならず
中がくられて空(うつろ)になっている。
この部分があってはじめて
器は役に立つ。
中がつまっていたら
何の役にも立ちやしない


同じように、
どの家にも部屋があって
その部屋は、うつろな空間だ。
もし部屋が空ではなくて
ぎっしりつまっていたら
まるっきり使い物にならん。
うつろで空いていること、
それが家の有用性なのだ

これで分かるように
私たちは物が役立つと思うけれど
じつは物の内側の、
何もない虚のスペースこそ、
本当に役に立っているのだ。



 <空っぽが役に立つ>という考えは高校生の私の心の深いところに響いたように思う。

 今から思えば取り立てて何ができるわけでもなく、将来も不安で、自分を価値のないように思っていた高校生にとっては、<何もない>ということを恐れなくていいと勝手に解釈したのかもしれない。多分そうなのだろう。決して「老子」の思想の深さが理解できていたとは思えない。

 相手に勝ったとか負けたとか、物を手に入れたとか手に入れられないとか、人間はそんなことで心をいっぱいにして生きている。そんな私達を老子が微笑んで見ているような気がすることがある。

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