三蔵法師と髑髏の首飾り

今日は小雨の中、徳島から観光バスでお参りがあった。小浜へ行く途中に寄られたとのこと。
徳島から来られた団体なので、軽い気持ちで案内する前に

  「ウエルかめっ!」

 と言ったらものすごいウケた…連続ドラマの舞台である美波町から来られた団体だったのである(笑)地元が取り上げられて皆さん意気軒昂の様子だった。

 自分の郷土が大きく取り上げられて嬉しいというのは自然な感情だし、郷土を愛する気持ちの表れなので、美波町の皆さんの嬉しそうな顔を見ているとこちらまで嬉しくなった。やっぱり時事ネタは使ってみるものである(笑)



 先日、ブックオフで「西遊記シルクロード 三蔵法師の道」という展覧会の図録を買った。朝日新聞社が99年に行った展覧会の図録である。表紙に東京国立博物館所蔵の三蔵法師の絵が載っていて衝動買いした。

 前から気になっていたことがある。それは三蔵法師の絵姿や立像のなかに髑髏の首飾りをしているものがあることである。

玄奘三蔵像(東京国立博物館)】

 玄奘三蔵が感得したとされる深沙大将は日本では玄奘三蔵と一対の存在と考えられていたらしい。これは「般若十六善神」などの絵画に両者が一対のものとして描かれていることからも明らかなのである。深沙大将のしている髑髏の首飾りは玄奘三蔵の前世のものだという説明がされることが多い。玄奘三蔵は過去生において何度もインドへの求法を志して果たさず、その髑髏を連ねたのが深沙大将の首飾りと説明されるのだが、ではなぜ玄奘までが髑髏の首飾りをしているのかさっぱり分からない…

深沙大将立像(高野山金剛峯寺)】

 髑髏の首飾りも2種類あって、髑髏の口蓋が外に向くように連ねたものと、その逆、つまり髑髏の口蓋が首を向くようになっているのもある。
奈良の南明院にある「玄奘三蔵十六善神図」では玄奘が外向きの髑髏の首飾り、深沙大将が内向きの首飾りをしているように描かれている。首飾りの違いは何を意味するのか…


 田舎に暮らしていて困ることのひとつは専門的なことを調べる方法が無いということである。都会なら大学の図書館などに通うこともできるが、田舎に暮らしていると地元の小さな図書館かネットで調べるくらいしか手段がない。本件について詳しい方がおられれば是非ご教導頂きたいと思っている。


 だが横道にそれる形で気がついたことがある。

 当山を開いた真如法親王はインド渡航の途上で亡くなった。
 その死後、真如親王の事跡がインドに求法の旅を行った玄奘三蔵に重ね合わせされたのではないかということである。

 この図録によれば玄奘が葬られたのは長安の白鹿原という場所である。境内の丘陵に高岳親王の仮の陵墓があるが当山の山号は鹿原山で、真如法親王は白鹿に導かれてこの地に伽藍を開いたとされるのである。
 皇室より当山に賜った寺号は慈恩寺だが、インドから帰国した玄奘三蔵が訳経を行ったのが西安大慈恩寺である。

 当山には快慶作の深沙大将が存在するが、この深沙大将玄奘三蔵と一対に考えられていたということも考え合わせると、真如法親王への敬慕は玄奘三蔵の影響を受けているのではないかと考えられるのである。


 こんなことは寺伝には一切書かれていないし、いつもの妄想なのかもしれない(笑)
 だがなかなか面白い話だと思っている。

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【追記】
本日はガンダムファンの某氏のお誕生日。
最近お気に入りの映像を貼らせて頂きます。

【“嵐の中で輝いて機動戦士ガンダム第08MS小隊】
某氏へ
京都の東寺のそばに「慈恩弘国」(じおんこうこく)という名前のお好み焼き屋があるそうです(笑)
一度行ってみたいですな!合掌