思い出のおにぎり

舞鶴ご近所日記】

 先日、舞鶴市役所から問い合わせの電話があった。

 舞鶴というのは終戦後に引揚者を受け入れた町としてしられている。
 その数は1945年から13年間に66万に上る。「岸壁の母」は特に有名である。

 その引揚げ者の方から問い合わせがあったそうである。
 舞鶴に引き揚げてきた時にお寺の炊き出しでおにぎりの接待を受けたが、そのお寺に再びお参りしたいというのである。

 兼務しているお寺に多禰寺というお寺があり、舞鶴湾を見下ろす山の中腹にある。
 市役所は接待したお寺というのがこの多禰寺ではないかと考えたようである。

 住職に尋ねると、昔はお寺が炊き出しの場所を提供してそこに皆集まっておにぎりなどを作って接待したのだという。つまりお寺が接待したのではなく、お寺は炊き出しの場所を提供したというのが実態のようである。引き揚げ桟橋から一番近いのはC寺という禅宗のお寺なのでそのお寺ではないか…というのが住職の推測だった。

 その旨、市役所に電話すると先方も同じ結論にたどり着いていたとのこと。
 尤もC寺の先代住職は既に亡くなっており、当時の詳しい様子は分からないとのことだった。

 住職によれば引き揚げの船が来ると、地元の有志が集まっておにぎりなどの炊き出しを行ったそうである。亡くなった祖母などもよくお手伝いに行っていたという。お米も各自が持ち寄ったそうだが、終戦後で食べることに不自由することの多かった時代によくそんな篤志の活動ができたものだと思う。

 命からがら、着の身着のままで引き揚げて来られた方も多いと聞く。
 ようやく祖国の土を踏み、口にしたおにぎりの味というのはどんなものだったろうか。想像に余りある。

 その感激を覚えていて接待を受けたお寺にお参りしたいという方もきっと心の豊かな人なのだろう。
 そしてそうした問い合わせにきちんと対応した市役所もなかなか立派なものである。

 「情けは人のためならず」という諺の本意は相手にかけた情けは自分に返ってくるという因果応報を説くものだったが、いつのまにか相手に情けをかけることは相手のためにならないというような少し不人情な意味になりつつある…

 今より遥かに貧しい時代に助け合って生きていた先人がいたことを忘れてはならないだろう。そして人に施した人情も不人情も自分に帰ってくるということも心したいことである。


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