山燃えて、巨人現る 

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【紅葉情報】境内のもみじは大半が散っています。
【名物“釜炊きぜんざい”】【観音寺の大根だき】今年度は終了しました。ありがとうございます。
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檀家さんに届け物をするために田舎道を車で走っていると、周囲の山々が燃えるように赤い。青く見えるのは竹やぶか植林の杉やヒノキである。昔はこうした植林も少なかったし、竹やぶも今ほど多くなかったから、昔の日本人は山全体が燃えるような紅葉を見ていたのだろう。

話はそれるが、コメント頂いたnarutakisoさんのブログを拝見したら、頭がくらくらするくらい綺麗な紅葉の写真がどっさり載っていた。京都の紅葉を居ながらにして堪能されたい方は是非ご覧頂きたい。

【その先の京都へ…京都写真版】http://d.hatena.ne.jp/narutakiso/20091126#c


昨日も車で田舎道を走っていて山の赤さに少し陶然としていた。
その時急に、何か分かったという感じがした。
数ヶ月前からしつこく考えていたことがあった。

それは何かというと…

神話や伝説に語られ、絵画や漫画や映画に描かれるところの<巨人>とは一体何だろうか?ということである。

身体が大きいというのはキャラクターの特性として非常に分かりやすい。
だが単にキャラクターを特徴付けるためではなく、もっと根本的なところで生み出され、現れる<巨人>というモチーフは一体何だろうか?とずっと考えていたのである。


北欧神話の<巨人>然り、諸星大二郎の描く<巨人>然り…何か非常に深い意識から生み出された巨人というものが存在する。それは一体何なのか?

紅葉した山々を見ていると、普段意識されない山の大きさというものが改めて感じられ、そこから<巨人>を連想したらしかった。

巨人というのは無意識(潜在意識)のことである

その時に心に浮かんでとても納得がいったのである。

(本当なら「無意識」や「潜在意識」をきちんと定義しないといけないのだが、面倒なのでパスさせて頂く。そういう気分にならないのである。)

私にとって意識の全体像のイメージは氷山である。
海面の僅かに現れた部分が<私>という顕在の意識であり、それを圧倒する巨大な意識が水面下に隠れている。ここで<巨人>というのはこの水面下の部分である。

絵画で有名な<巨人>といえばゴヤの「巨人」である。

たまたま下記のサイトを見ていたら、ゴヤの代表作「巨人」は弟子アセンシオ・フリアの作品であるという最近の研究が紹介されていた。http://www.salvastyle.com/menu_romantic/goya.html

サイトの同じページにやはり有名な「わが子を喰らうサトゥルヌス(黒い絵)」
が載っていた。わが子に殺されるという予言を得て、生まれた子供を次々と喰らうサトゥルヌスの姿である。下半身は黒く塗られているが、そこには勃起した性器が描かれていたという。
昔は単にグロテスクな絵にしか見えなかったが、改めて見ると深いものを感じる。
サトゥルヌスは子供を喰らうと同時に子供を産み出すものである。
この関係は<意識>と<無意識(潜在意識)>の関係によく当てはまる。


お約束で笑われそうだが、モビルスーツのような<巨大ロボット>や<恐竜>というモチーフもどうやらここにつながるような気がしている。

私たちは<自分>という自己意識を疑うことはない。
だが、<自分>という意識の水面下に巨大な意識があって、そこからわきあがる衝動に隷属しているだけではないのかもしれないのである。

<自分>とは何かということを探求しようとしたらそのことに一度気づくべきではないかと思う。仏教の唯識論では意識のさらに下部に期末那識や阿頼耶識の存在を認めている。

自己を超えた自己というのは古くて新しいテーマなのである。
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