冬の夜の愉しみ
【山寺の本棚】
数年前から小説を読むことがなくなった。何故か小説に食指が動かなくなった。理由は良くわからない。だが時々、昔読んだ小説の愉しさや印象を思い出すことがある。
昨日、ブログを書いていて谷崎潤一郎の「母を恋ふる記」を思い出した。
とても好きだった作品である。「母を恋ふる記」と「陰翳礼賛」が映像化されたらどんなにか素晴らしいかと思うのだが。
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谷崎潤一郎は女性への特異な嗜好や性癖があって、自分が死んだら、墓石に上に女性の足型を刻んでもらって、死後も踏みつけられたい…というような一節を読むと思わず笑ってしまう。
今風に言うならならドMである(笑)だが…その文章の流麗さ、推敲の完璧さ、美学、含蓄、陰影、豊かさ、論理性、展開の起伏…褒めだしたら際限が無いのである。
近代文学にこうした強烈な存在感をもつ作家が綺羅星のごとくいる。最近の本屋へ行くと<まず本を売る>という空気があってなんだか馴染めない。売れそうな本はあるのだが、そこに作者の圧倒的な個性が感じられることが殆ど無いのである。この齟齬は一体何なのだろうかと時々考える。
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それはまだ人々が「愚」と云う貴い徳を持っていて、世の中が今のように激しく軋み合わない時分であった。殿様や若旦那の長閑な顔が曇らぬように、御殿女中や華魁(おいらん)の笑いの種が尽きぬようにと、饒舌を売るお茶坊主だの幇間(ほうかん)だのと云う職業が、立派に存在して行けたほど、世間がのんびりしていた時分であった。女定九郎、女自雷也、女鳴神、
──当時の芝居でも草双紙でも、すべて美しい者は強者であり、醜い者は弱者であった。誰も彼も挙って美しからんと努めたあげくは、天稟(てんぴん)の体へ絵の具を注ぎ込むまでになった。芳烈な、あるいは絢爛な、線と色とがその頃の人々の肌に躍った。
最近は夜寝る前に布団の中でいろんなことを考える。
一日の仕事を終えて、暖かな布団の中でいろんなことをとりとめなく考えるのである。
時々、これまで読んだ美しい文章を反芻していることがある。冬の夜のささやかな愉しみである。
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