不治の病を真言で癒した話

【山寺の本棚】【密教入門】

密教夜話

密教夜話

三井英光師の「密教夜話」は雑誌に発表されたエッセイや短文を中心にまとめられており、平易で読みやすいが内容的には真言密教の深意に触れる話が多い。

この中に「信心と功徳」という問答がある。
その要旨は次のようなものである。

ある日、三井師は左眼を一夜にして失明し、病院で結核性の眼底出血との診断を受ける。まもなく右目も視力を失い、両眼の光を失い、殆ど不治であるとの医師の診断に一旦は悲観するものの、自分は身も心も仏様にお任せしたのだから、この病気もまた仏様のものと思い、ひたすら仏に帰依する心境のままひとつの真言を唱え続けた。真言三昧の日を送るうちに次第に病が癒え、視力が戻ったという。三井師は仏様が肉体の視力を奪うことで心眼を開かせて下さったと結んでおられる。

この時三井師の唱えた真言

オン ア ソワカ

である。真言には「オン〜ソワカ」という形式のものが多い。

オン カカビサンマエイ ソワカ地蔵菩薩真言
オン マイタレイヤ ソワカ弥勒菩薩真言

「オン」は帰命(帰依)し、投げ出すことであり、「ソワカ」とは「成就」という意味だそうである。

<ア>という存在に対して帰命します(帰命し終わりました?)という意味になる。

真言宗の根本仏である大日如来を<ア>字で表すことから、この真言大日如来への絶対なる帰依を表したものと考えられる。


これは余人にできることではない。だが、これまでいろんな難病から生還された方の治癒の経験談を読むと、病を得た者が病気への恐怖や不安を捨て、安心や感謝を得たまさにそのときに病気が治り始めるということが多く見られる。これは一体、何を意味するのだろうか。(ルルドの泉のような奇跡な治癒を想起しても良いかもしれない)



真言密教では真言、印、観想の3つが修行の柱となる。
ところが真言と印は形があるが観想には形が無いのである。


次第と呼ばれる修行の手引書には観想が記されている。例えば

観ぜよ。我が心月輪の上にラン字有り。変じて三角の火輪と成り、火輪変じて白色の火天身となる。

と次第に書かれているとして、これを読めば観想たりうるかといえばそうではなく、本来は修行者の脳中胸裏にこの光景がありありとした実体として映じなくてはならないのではないかと思うのである。

真言も印も言葉や絵を持って伝えることができるし、観想も文字にすることはできるが、それを真実の観想たらしめるには修行者の強大な精神力がいるのではないだろうか。

観想を実体のあるイメージとして喚起する能力もさることながら、その次には自分の身に起こる不幸を仏の計らいとして感受することはある意味では究極にして至高の観想といえるのではないだろうか。日常の不幸の上に仏の実在を描くという観想である。

そしてこの高度な観想を得たときに心身が劇的な変化を得る…とりあえず今はそのように考えようと思うのである。



【告知】
2月3日午前10時より節分祈願祭が行われます。年に一度の本尊波切不動明王様ご開帳の機会です。尚、ご開帳は法要の時間のみですのでご注意下さい。祈願お申し込みはお早めに願います。(当日参拝できない方、遠方の方には後日、御札を送らせて頂きます)詳細はHPにて。→http://ujimaccya69.hp.infoseek.co.jp/



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