僕は坊さん

 【お知らせ】


昨日、HPを少々更新致しました。
ご笑覧下さいませ
http://ujimaccya69.hp.infoseek.co.jp/

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朝刊の広告を見ていた住職が「町に新しい電気屋が出来たらしい」というのでその広告を見ると…

ジャパネットたかた

と書いてあった。約5分かけて通販の仕組について説明。


今日はお寺のあり方をめぐって住職とやや激しい意見交換(=軽い親子喧嘩)を行う。

住職はとても一生懸命で、立派な人ではあるのだが、私とはまるで価値観が違う。私なりのお寺作りというのがようやくひとつのイメージができてきたが、それにはまったく関心も興味もないようである。子供としては年老いた親の思うようにやらせてあげたい気持ちが半分あるが、譲れない部分もある。なかなか難しいのである。

昨年までお寺の100年先を見越した長期計画を立てようと思っていたが、最近になって50年先の計画でもままならないことに気がついた。お寺とお寺をめぐる環境は本当に大きく変化しているのだ。

いつもコメントを頂く大威徳様から「僕は坊さん。」という本を推薦して頂いた。

ボクは坊さん。

ボクは坊さん。

この本はアマゾンや各書評でもかなり評価が高い。表紙に金属バットらしきものを持った僧衣のお坊さんが書いてあるのも私的にはかなりツボなのだが、とにかく読みたい本と読みたい漫画が多すぎて新刊までフォローできない。

そもそも先のことを考えようというのが間違いなのかもしれないと思い直すこともある。
ある立派なお坊さんから

「ただの坊主になりなさい」

と言われたことがある。「掃除をして、読経をしていれば自然と眼の前にやるべきことが見えてくる」とも言われた。ちょうどその頃はお寺を巡って焦りや不安からいろんなことに手を付けていたから、そんな右往左往している私のみっともない姿を見て掛けてくださった言葉である。

もっともその時の自分がみっともないということにはかなり後になってから気がついた。

自分が何かに囚われているとその大きな何かは見えない。
不幸や不安とは結局は自己の執着のなせることなのかもしれない。

「ただの〜になる」というのはどの職業についても言えることだが、その意味するところはとても深い。時々、この言葉を噛み締めることがある。

形の上では坊さんになることができたが、自分が坊さんであると胸を張って言えるにはまだまだ時間がかかりそうである。

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