宗教と無宗教のあいだ
- 作者: 藤原聖子
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2009/08/01
- メディア: 新書
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あなたの生活にとって宗教はどの程度必要か?
この問いに対して、「非常に重要」と答えたアメリカ人は54.8%であった。そして同じ問いに対する日本人の答えは僅か5.4%だったという。アメリカというとリベラルのイメージが強いが実はヨーロッパよりもより信仰に価値を置いていて、この問いに対して「非常に重要」と答えたアメリカ人の割合は欧州諸国を大きく上回っているのである。
もうひとつ興味深いのはアメリカ人の無神論者に対する許容度である。
「白人と黒人は社会的ビジョンを共有できるか」
「移民とは社会的ビジョンを共有できるか」
「イスラム教徒とは社会的ビジョンを共有できるか」
「無神論者とは社会的ビジョンを共有できるか」
これらの問いに対してもっと否定の割合が高かったのが「無神論者とのビジョンの共有」であったという。
同時多発テロの後であったにもかかわらずイスラム教徒より無神論者への許容度のほうが低いということは、アメリカが宗教的なるものに高い価値を置く社会であることを意味するのだろう。
日本では様々な場面で簡単に宗教や信仰が否定的に語られるが、これは世界の中ではかなり異質である。社会の規範が宗教に大きく依拠しているイスラム社会はいうまでもなく、欧米では宗教的なるものの価値が日本より遥かに高いのである。
日本という空気の中でこそ「神仏は存在しない」「人間は死んだらそれまでだ」「魂など存在しない」と簡単に発言することができる。「自分が死んだら葬式は、要らない」ということも簡単である。
ではそういった人達がイスラム教徒や欧米人の前で「神は存在しない」「魂は存在しない」「宗教的儀礼に意味は無い」と堂々と主張できるだろうか…と考えることがある。
周囲から轟然たる非難が沸き起こる中で平然と自己の主張を貫けるのだろうか。念の為に言っておくが、私は宗教を肯定することを是とするつもりは全く無い。
それ以前のことを考えたいのである。
それが宗教であっても無神論でも良いが、日本人一人一人の中に何か確固たるものが存在するのだろうか?大勢の反対意見の前で自分の信ずるところを堂々と主張できるだろうか?ということである。
日本では「規則を守る」ということは子供の頃から教えられる。暗黙のうちに<空気>を読むことも身に付ける。だが「自分の意見を持て」「自分が信じるもののために闘え」と教えられることは決してないのである。
自分を確立し、異質なものとぶつかってでも自己を貫いていくという生き方は日本では稀である。周囲や自然と調和するという日本人の感性を私自身素晴らしいとおもうこともある。だがその一方で、日本人の中にもっと毅然とした何かがあってもよいのではないかと思うことがあるのである。
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