葬式仏教は嫌いですか?

【お知らせ】
昨日、HPを少々更新致しました。
ご笑覧下されば幸いです
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葬式は、要らない (幻冬舎新書)

葬式は、要らない (幻冬舎新書)


結局のところ「葬式は、要らない」の本質にあるのはこれまで繰り返されている葬式仏教批判である。戒名料批判も結局そこにいきつくと思う。
とにかく島田氏は葬式仏教というものが相当に嫌いであるらしい。

今日の仏教は「葬式仏教」と言われるように、死者を葬ることを第一の使命とするが、飛鳥時代から奈良時代にかけての仏教は、高度な学問の体系として受容され、葬式仏教の側面はまったくもたなかった。
 その証拠に今日、奈良に現存する飛鳥時代から奈良時代に創建された仏教寺院は法隆寺薬師寺をはじめとして、どれも墓地をもたず檀家がいない
当時の寺は、あくまで仏教の教えを学ぶための場であり、葬送儀礼は営まなかった。
 今日でも、そうした奈良の古い寺院では住職が亡くなると、それぞれの寺で葬式が営まれることがない。葬式は別の宗派の僧侶が担当する。その意味で、当初の仏教は、葬式仏教とは完全に無縁だったのである。
 現代の人間が、とくに奈良の古寺にひかれるのも、そこから葬式仏教の臭いがしてこないせいかもしれない。私たちは、純粋な仏教の姿を、そうした古寺に見出しているのだ。 (54−55p)

現代人が奈良に引かれるのは「葬式仏教の臭い」がしてこないから…という批判もいかがなものかと思うが、本当に葬式を行う仏教は純粋な仏教の対極なのか。

奈良時代の「高度な学問としての仏教」というのが果たして純粋だったのだろうか?
奈良時代は仏教による鎮護国家がひとつの課題であり、国家仏教の側面が強かった。
当然、個人の葬儀とは無縁であった。貴人ですら遺骸は野に捨てられていた時代である。
なかには行基のように個人の救済に奔走されて僧侶がおられた。

先日も自分のお寺に保険金を掛けて放火したというとんでもない僧侶が捕まっていた。
どの時代にも純粋に仏教を追求した僧侶もいたし、そうでない僧侶もいたということではないだろうかと思いたい。

「葬式は、要らない」の中にはこんな記述もある。

仏教の開祖・釈迦は、王族の生まれだったが、生死病死にまつわる苦の存在に悩み、家を捨て、家族を捨てて出家し、修行に励んだ。そのなかで悟りを開くことになるが、その教えは、あらゆるものに対する執着を捨てることに主眼がおかれた。
 しかも釈迦は、死後のことは、死んでみなければ知ることはできないとし、生前に死後について考えることはできない無駄だと説いた。 (62−61p)

釈尊は本当に「死後のことは、死んでみなければ知ることはできないとし、生前に死後について考えることはできない無駄だ」と説いたのだろうか?
島田氏の挙げている釈迦の言葉は「箭喩経」の無記の説をパラフレーズしたように見えるが、そんなに簡単にお釈迦様はこう説かれたと言ってもらっては困るのである。それこそ「如是我聞」の世界である(笑)

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫)

ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫)

お釈迦様が直接語られたと考えられている「スッタ・ニーパ」などではお釈迦様は死後の世界について滔々と説いておられる。

面白いことにお釈迦様が死後の世界について言及されていてもこれを認めない方もある。田上太秀「仏陀のいいたかったこと」(講談社学術文庫)を読むと釈迦が死後の世界を認めたのは、在家信者の為の方便であったと書いてある(160p)。
これなどはかなり曲解にすぎると思うのだが…

仏陀のいいたかったこと (講談社学術文庫)

仏陀のいいたかったこと (講談社学術文庫)

多分、宗教学も仏教学も死後の世界や魂の存在を認めると、学問として成立しなくなるというジレンマがあるのだろう。既存の仏教学ではこうしたテーマは大変消極的に扱われている。

宗教と科学は対等であると思う。宗教は固有の価値や信条があっていいのである。それが科学で証明されないということを理由に否定されることはないと思う。

文学作品に価値があるか否かということは科学では証明できない。
憲法9条が正しいことを科学的に証明することはできない

文学、法学、政治学、経済学などの人文的価値観には科学を援用できても、科学による証明が不可能であるか、意味を成さない領域が無数にあるのである。

但し…


仏教は後世に伝えていく価値があるのか
現代の私達が仏教から何を学ぶのか

このことは何度も何度も問い直さないといけないと思っている。

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