ブッダは超マザコンで自己チューな非情男

【山寺の本棚】

ブッダはなぜ女嫌いになったのか (幻冬舎新書)

ブッダはなぜ女嫌いになったのか (幻冬舎新書)

本屋で丘山万里子「ブッダはなぜ女嫌いになったか」を手にとったら

「超マザコン、自己チュー、一族根絶の非情男、それがブッダ!」

帯にこんなことが書いてあった。裏表紙にはこんな言葉も書いてある。

ブッダとは「悟った人」の意味だが、その悟りへの歩みは、生後間もない息子に「ラーフラ(=邪魔者)」と名付け、妻子を置き去りにして出奔することから始まった。「人とかかわるな、交わるな」と説いたブッダは、「女の究極目標は相手を縛り支配すること」と断じ、女の出家に最後まで難色を示し続けた。ようやく尼僧を許可した後も、女の存在が仏法を駄目にすると愚痴って弟子を悩ませる。この徹底した女性への警戒心、恐怖感はどこからきたのか。原始仏教経典を精緻に読み込むことで見えた、生みの母、育ての母、妻との愛に苦悩する、知られざるブッダの姿。

「原始仏典を精緻に読み込む」「知られざるブッダの姿」というのが笑えるが、ブッダがただの俗人かそれ以下に貶められている気がする…

どうしてあなたはブッダ嫌いになったか?

と逆に聞きたいくらいである。

悠久の仏教の歴史の中でブッダを超える人物は出ていないと断言していいだろう。
空海最澄親鸞法然ブッダには遠く及ばないと思っている。ブッダが超マザコンでジコチューの非情男なら、それ以後の仏教者はさらにそれ以下ということになる。

そりゃあんまりですね(泣&笑)


お坊さんが隠すお寺の話 (新潮新書)

お坊さんが隠すお寺の話 (新潮新書)

最近、村井幸三の「お坊さんが隠すお寺の話」という本が出た。

島田裕巳氏の「葬式は、要らない」が売れたので、雨後の筍式に同様の本が出る模様。

こちらもちょっとだけ立ち読み。確かに日本のお寺にも多いに問題があるが、相変わらず戒名料が高いとかそんなことが書いてある。

村井氏は前著「お坊さんが困る仏教の話」では霊魂の存在をスッパリ否定されていたが、あるご住職に惚れ込んで、この方に引導渡して頂きたいと転宗したと書いてあった。

それはそれで立派なことだが、だってあれほど霊魂は存在しない言い切ってたじゃないのとツッコミたくなった。霊魂が存在しないならお坊さんの引導にどれだけ意味があるのか…

今日、知り合いのお坊さんに島田氏はオウム事件の時に延々とオウムを擁護し、弁護されていた方であると伺った。私も忘れっぽいのでWIKIを見たら、確かにどっさりそんなことが記録されていた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E7%94%B0%E8%A3%95%E5%B7%B3

まあ、誰にだって古傷のひとつやふたつはありますが、あまり褒められた過去ではないですね。


別に仏教を批判したから目くじらたてているわけではない。そう見えるかもしれないが(笑)

批判は結構だが事実に基づかない批判や論点のいい加減な批判には少々文句を言いたいのである。
「忍辱」(忍耐心)というのは六波羅蜜(仏教者が修める6つの修行)のひとつとされるが、それくらいはブッダも大目に見てくださるだろう。



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