灯篭流しの不思議


本日はブログがご縁で知り合った市内の男性がお寺に遊びにこられた。

この方は農業や地域おこしなどにもとても熱心な方で時間を忘れて話し込んだ。とても楽しい時間だった。
この男性は仏教にも大変に興味があり、お経をお腹から声を出して唱えたいが、住宅地なのであまり大きな声でお経を読めないのが悩みだと仰ったので近くにお寺があれば、お寺にお参りして読経すれば良いのではないかと提案した。せっかくなのでご本尊の前で一緒に般若心経を唱えた。

ふと感じたのはお経を唱えると心がリセットされるのではないかということである。

お経は仏様や故人の為に上げるものだと思われがちだが、ではこの世に生きて在る私たちのためにはどのようなお経を唱えればいいのか…今日、新しい友人ができてふと大事なことに思い至らせてもらった気がした。



昨日に続き、仁和寺の布教資料「仁風」から素敵なお話を紹介したい。


「灯篭流し」  遍照寺  生石和宏

日本三沢のひとつに数えられる広沢池は遍照池のために造営された広大な人工池であり、観月の名所としても名高い。芭蕉の「名月や池をめぐりて夜もすがら」という句もこの広沢池で詠まれた。


遍照池では毎年、灯篭流しが恒例の行事となっている。近年では2000基近い灯篭が池に浮かべられる。

この「灯篭流し」を巡って生石師は次のようなエピソードが紹介されている。

平成8年のこと、山科に住むNさんは前年の秋、小学校の教頭を勤める夫を亡くされ、私立高校に通う二人の息子さんをかかえ前途に不安を感じながら暮らしておられた。広沢の池の灯篭流しを知り、親子三人で供養に来られた。八月十六日夜、周囲一キロメートルを越える広い池に多数の五色の灯篭が漂う、正に水と炎のページェント。ひたすら亡き夫の菩提を願い、池畔にて手を合わせて祈る。ふと見ると一基の灯篭がこちらに向かってくるのに気が付いた。それは他の灯篭とは全く違った動きで寄ってくるように見えたという。こちらに向かって除々にではあるが引き寄せられるようにまっすぐに迫ってきた。不思議に思いながらその灯篭をよく見ると、はたしてそれは正しく亡き夫の灯篭であった。灯篭には夫の戒名の書かれた紙塔婆が貼られてある。「お父さん、お父さんや!」思わず涙が出てきた。夫は遺された家族を心配して見守ってくれているんだ、偶然なのかも知れない、でもその時Nさんにはそう感じられた。そのことにより家族全員が勇気付けられたように思われる。その後、息子さんは二人とも有名国立大学を卒業され、一流企業に就職し、活躍されている。Nさんも努めて明るく振舞われ、今も知人の会社で毎日忙しく働いておられる。お墓は遠いけれど月参りを欠かさず、ご命日には仏壇に必ずお膳を供えて供養されている。今年も池に千八百基を越える五色の灯篭が漂った。菩提を祈る各々の施主の願いを乗せた灯篭が一基、また一基とその灯火を消し、御霊は浄土へと旅立つ。池が漆黒の闇に包まれた時、お盆も終わりを告げる。

ブログランキ
ング・にほんブログ村へ
にほんブログ村←丹後の山寺に住む副住職に応援のクリックをポチッとおねがいします(^人^)