相変わらずの雨

本日も小雨が降る。

新緑のもみじが雨に濡れるととても美しく見える。
今年は筍の成り歳で、随分と筍が取れる。猪や筍泥棒に先を越されなければの話だが。


午前は習字の講座へ。

これまで近くの禅宗のお寺で書道の会が行われていた。

私も時々参加していたのだが先生が公民館で新たに書道の講座を開かれることになったので、お世話になったお坊さんもその講座に移ることになった。先日、講座の第一回目が開かれたのだが、受講生の中になぜかお坊さんが大勢混じっていて、初めて講座にこられた一般の方はかなりびっくりされた様子。

困ったことに公民館の駐車場が狭くて参加者全員の車が置けないのである。書道以外にも幾つも講座があり、駐車場はいつも混雑している。

今日も雨の中大急ぎでかけたのだが、公民館に着くと既に駐車場は満車である。仕方なく近くの市営駐車場に車を止めて、車を降りようとしたのだが、気が付くと財布も携帯も、それどころか習字道具も忘れいるではないか…慌てると碌なことが無い。


ここ2日ほど忙しくて、少し気もそぞろだった。

ここ一カ月ほどの間にいろんな方との出会いがあった。
そしていろんなことを考えさせられた。

先日、知り合いになった方は若いときに心の病で何度も自殺を考えられたそうである。

仏教的には自殺は不可である。

人間に魂があるかぎり、死んだら楽になるということはありえないからだ。

日本で自死が極めて増えている背景には魂は輪廻するという仏教的な生命観が衰退したことと無縁ではないように思う。

自死を選んでも、苦しみは死後も続きと理解していたら、自死を選ぶ人は少ないだろう。

恐らくほとんどの宗教では自死は禁じられていると思われる。

別の観点から言うなら、宗教には自殺を防ぐ役割があるといえなくもない。

宗教には様々な弊害が生まれることがあるが、同時に様々な社会的な機能も果たしている。

その機能は社会の変化につれて変わっていくものかもしれないが今の仏教に求められるのは

『個々の人々の抱える悩みを解くこと
』『人と人のつながりの回復や醸成を果たすこと』
『社会のモラルを回復すること』
『自殺を予防すること』


といったことではないかと思われる。
人生というのは僅かな時間でしかない。
未熟な私の手に余ることばかりではあるが、これらのことが少しでもできればいいと思っている。


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