戒名は、自分で決めるな

【山寺の本棚】

三十三年ぶりに行われる中山寺の御開帳法要を間近に控え、本日は中山寺で習礼(「しゅらい」予行演習および事前打ち合わせ)が行われた。

山寺から中山寺までは車で15分ほどである。

お寺に近づくと大勢の人が沿道で清掃作業をされているので「今日は共同作業の日かな?」と思ったら、中山寺に近づくにつれて作業する方の数がどんどん増えていった…これらの方は皆さん中山寺の檀家さんで開帳法要の備えた作業中だったのである。境内に入ると重機がうなりを立てて作業中。とにかくスケールが大きい。ご住職も副住職も忙しそうに働いておられた。

無事に集礼を終えたが今まで参加したことにないほどの大規模&本格的法要だけに少々動揺した。大きな失敗がないといいのだが…


今朝の新聞に唖然するような本の広告が載っていた。

戒名は、自分で決める (幻冬舎新書)

戒名は、自分で決める (幻冬舎新書)

さっそく購入してブログに書こうと思った近場の本屋になかったのが残念…

幻冬社の広告だけでもかなり笑えます。


40万円支払いますか、それとも自分でつけますか?


たった10文字程度の死後の名前が、かくも高額なのはなぜか?


パソコンのソフトで戒名をつくる僧侶たち。


10分もあれば、思い入れたっぷりの戒名が自分で作れます。


誰でも簡単!10分で出来る「戒名作成チャート」付き!

葬儀についてよく知らない人がこの広告を読めば葬儀をすれば必ず40万も戒名料を取られると思うかもしれない。
そもそも戒名料というものが存在しない寺院も多い。

この40万円というのはどこから算出されたものだろうか。どうも高すぎる気がする。(ちなみに首都圏近郊は葬儀等にかかわる布施が高額であることが多い。)

前著「葬式は、要らない」の106ページには「バブル期に平均70万円を超えた戒名料」と書かれているが、本文をよく読むとこの70万円というのは「戒名料を含めた寺院への支払い額」と書いてある…どう考えても事実を捻じ曲げているとしか思えない。それとも勘違いなのか。

島田先生は前著「葬式は、要らない」で葬儀が高い、戒名料が高いと言っておられるのはどうも首都圏のことをさしておられるのではないかという気がする。何にせよ早く実物を読み込んでいろいろ書いてみたいとうずうずしている(笑)

葬式は、要らない (幻冬舎新書)

葬式は、要らない (幻冬舎新書)

この広告だけでも笑えるのは僧侶が戒名をパソコンで付けているといって批判?しておいて、10分で出来る「戒名作成チャート」を勧めるというものまず矛盾ですよね。

以前にも書きましたが、戒名は資格を持った僧侶がそれぞれの宗派の法儀にのっとって付けることに意味があるのである。或いは法儀を修め、正規の資格を得た僧侶が戒名を付けることに意味があるのである。戒名それ自体は「10文字程度の名前」に過ぎない。

宗教学者にして東京大学客員研究員というご立派な肩書きを持った島田先生がどうしてこの程度にことが分からないのか不思議でしょうがない。

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