「千の風になって」異聞

Youtube漂流記】

時々、「千の風になって」が聞きたくなることがある。
Youtubeでこの歌を検索したらいくつか面白いのが見つかった。


清水ミチコ氏が物まねで歌っているもの。
清水氏は知的な感じがしてかなり好きな芸人さんである。


秋川氏と宝塚歌劇団のコラボ。
とにかく綺麗のひとこと。

実は私が一番素敵だと思った「千の風になって」は岡村瑤子さんという日本のカンツォーネ歌手の歌っているものである。
カンツォーネというのは全く未知の分野だが、この方は喜劇役者の大村昆氏の夫人なのだというから少々驚いた。

最初に聞いたときは「うわっ、濃いなぁ…」というのが第一印象だったのだが、聞いていると何ともいえない滋味のようなものが感じられる。

秋川雅史氏は素敵な歌手だが、秋川氏にない魅力がある。
人生を生きて、生きてその後で得られる達観のようなものだろうか。最近、繰り返して聞いている。


千の風になって」という歌はお坊さんの中でも賛否両論ある。

この歌に癒される方がおられるというのも理解できるが、お坊さんとしては<お墓の中になんかいない>というところにには少々ひっかかる(笑)

日本人の中で宗教への意識を希薄なって、尚且つ、死という厳然たる現実に立ち向かわざるを得ないときに、この歌は一定の力を持つと思う。その意味では無宗教時代のすきま風と言っては言い過ぎすぎか。

だがこの歌では来世も語られていないし、死の意味も語られていない。

宗教を失った人々が死というものを暗い、悲しい別れだと感じたときに、死者の側がそうではない、私はあなたのそばにいると説くことは大いに慰めとなるのは事実である。

だがそれは仏教の役割を否定するものではないと思う。

むしろこうした癒しを超えたところに仏教の本義があるとおもうのだが、この歌以上に魅力のある仏教の姿を示すことはなかなかに難しい。
その意味でこの歌は仏教に携わる者へのひとつの宿題ではないかと思っている。

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