山寺の観光白書

数日前に団体の拝観があった。

引率してきた旅行代理店の代表とは昨年来、何度も顔を合わせていて、本日も近くに来たので急遽、立ち寄ってくださったとのこと。

境内の説明を始めようとすると

プシュ!

よく見ると、一人の男性が缶ビールを飲み始めている。その男性は傍らの男性にも缶ビールを渡して同じように飲み始めている。
ふと見ると別の男性はタバコを吸いながら境内にタバコの灰を落としている。
さらにもう一人はついさっき「そこに秋海棠が植えられています」といったばかりの群生地に踏み込んで秋海棠の株を踏み潰してしまっている…

さすがにテンションが一気に下がってしまい、ここはひとつ怒るべきかな…と思ったのだが、結局、いつものように境内の案内をして5分ほど法話した。添乗員氏は1時間近く滞在時間を見込んでくれていたのだが、流石に気持ちが乗らないので早々に切り上げることにした。

三重塔の前で法話をして庫裏に帰ろうとすると、缶ビールを飲んでいた男性は添乗員氏の缶ビールの空き缶を始末してくれとしつこく迫っていた。仕方がないので私が空き缶を持って帰ることにした…

お寺をオープンのしていろんな方に来てもらおうとするといろんな体験をする。

そのひとつひとつが勉強になるが、マナーの悪い人に「帰れ!」といっていいのかというのは結論がでていない。
もちろん怒ってあげるというのも広い意味での親切である。
「感情的に怒るのではなく、理性で叱る」という方もいる。なかなか含蓄のある言葉である。

ちなみに禅宗大本山であるA平寺は、お酒に酔っている人は境内に入れてくれないと聞いたことがある。
最低限のマナーを守れない人にはきちんと怒ってあげるのももいいが、延々そんなことをやっていると関係ない周りの人たちまで嫌な思いをさせることになる。


もっとも後からよくよく考えたら

やっぱりちょっとくらいは叱っとくべきだった

という結論に達した(笑)私は頭が悪いのでその場で決断できないことが多いのである。

お寺をもっとオープンな存在にしようとか、お寺を護持していくためには観光という形で不特定多数の方に来ていただくことはこれからも続けていきたいが、時々自信がなくなることある。

観光客として訪れる人にとってはこの山寺を訪れることはただの暇つぶしや興味本位であって、お寺を大事にしようとか、お寺で何かを得ようと気持ちはこれっぽっちもないというのが如実に伝わってくるときがあるからである。

それは檀家さんのように先祖代々お寺に深くかかわってきたという関係とは対極かもしれない。

例えば葬儀という人生の一大事に立会い、そこから心とか、魂とか、一生涯の総括といったことを考えてもうおうというのはお寺と個人のお付き合いとしてはとても深い、真剣なものである。ある意味究極の関係である。

少数の方とじっくり、深く付き合っていくのか、逆にもっと大勢の方を対象にして深みはなくても日常の中でのささやかな癒しや、心の寛ぐ時間と場所を提供することで良しとするのか。

これはなかなか難しい問題であると感じている。

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