人を信じて心が楽になる

2日ほど山寺を空け、薪で焚いたお風呂に入って汗を流したらようやくほっこりした。
やっぱり自分の家というのは良いものである。
天候の不順な日が多いが、夏はもうそこまで来ている気がする。


ブログにも何度も書いているように、お寺というのは詐欺や押し売り、訪問販売の類が多くてうんざりすることがある。そんなことが何年も続くうちに、人を信じることが辛くなることがある。
先日、ふとあることに気がついて、愕然となった。

『人を信じられないのに、神仏を本当に信じることはできないのではないか?』

ということである。


ということは人を信じ切れていなかった今までの自分の信心は偽物だったことになる。なかなかイタい話ではある…

人を信じるということは<自分を信じる>ということであり、それは<自分の人生を信じる>ということであり、そして<神仏を信じる>ということ全てにつながっているんだということに少し気がつくことできた。少し遅かったかもしれないが…

もちろん世俗的な賢さは必要であろう。

人を信じるといっても電話で勧められた金の先物取引や未公開株を買ったとしたら、それは愚かというものである。でも…

『やっぱり、人を信じて生きていこう!』

ベースにあるのはあくまで人を信じるという気持ちを持つべきである。そのことを忘れないで生きていきたいと思う。
そう思えると少し気持ちが楽になった。
相変わらず心を暗くさせるニュースが多い。人が信じあえる社会の到来を願わずにはいられない。


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