謎のろうそくと掃除の功徳

本日は兼務している多禰寺にて朱印書きの当番。

メール便が2通届く。

1通は高野山大学からの入学案内。真言系のお寺にはこうした宗門大学からの入学案内が毎年届くのである。

高野山大学スピリチュアルケア学科という非常に新しい試みの学科が新設されて、大変注目していたのだが、今月号の「寺門興隆」を読んでいたら、このスピリチュアルケア学科が定員割れで募集が停止されていると報道されていた。

スピリチュアルケアというのは定義が難しいが、人々が宗教や精神文化からきりはなされつつある現代には必須の視点だと思う。復活を望みたいところである。


もう1通は“みのはん”という会社から通販カタログ。内容はお寺用の食器、椅子、小物、など多岐に渡る。

そのなかに「読経入般若心経ろうそく」という文字が…


「読経入般若心経」…って

「般若心経」が既にお経なんですけど…

説明を熟読してようやく謎が解けた。
もともとろうそくの表面に「般若心経」を印刷した「般若心経ろうそく」という商品が売られていて、その最新バージョンがこの「読経入」なのだそうである。

「読経入」というのはろうそくの芯に光センサーが組み込まれていて、点灯するとろうそく台の中のICレコーダーから有難い般若心経が流れるようである。有難いのだか有難くないのだかかなり微妙…

外掃除をしようとするとおまいりの方が何組か来られた。

寺務所を離れられないので、寺務所の中を雑巾がけしたり、古い紙片や小物を整理した。といってもそんなに本格的な掃除ではないのだが、掃除した後の寺務所に座っていると、心がとても落ち着く気がした。

自分の周りの環境を整えると、自分の心もすっきりするというのはとても興味深い。
掃除で開運するといったことを提唱される方があるが、やはり掃除には力があ
るという気がする。今風に表現するなら<掃除力>である。

掃除道 会社が変わる・学校が変わる・社会が変わる

掃除道 会社が変わる・学校が変わる・社会が変わる

普段、意識せずに視界に入っている環境が雑然としているか、整えられているかということは、私たちの意識に作用するのかもしれない。

音にはバイブレーションというものがあるが視覚、触覚、味覚、といった感覚にも低次元から高次元へのグラデーションのような区別があって、掃除という行為は、このレベルを上げるような気もする。

掃除というのはその場の波動のようなものを高めることで、私たち自身に良い影響を及ぼすということはあるのかもしれない。この考えはちょっと気に入っている。

もっとも「波動」とか「バイブレーション」といった言葉をとにかく無責任に、オカルト的に使う人も多いので要注意ではあるが。




ようやく参拝者が少なくなったので境内を散策。

本堂の左手の斜面に雑木が茂っている場所があって、普段は全く足を踏み入れたことがなかった。あまりに暗く生い茂っているので、今年から切り倒すことに決めたら少し楽しくなって、下見の為に斜面を登っていった。

本堂の裏手は道路が通っていて、道路まで雑木の生えた斜面だとずーっと思っていたのだが、道路のすぐ手前でかなり広い平地になって、その背後が急斜面になって道路に続いていることに気がついた。

平地はほぼ長方形で、明らかに何か建物が建っていたという雰囲気が濃厚。境内にまだこんな場所が残っていたとは…

かっては境内に沢山の塔中寺院があったとされる。この場所にも庵か分院が立っていたことは間違いなさそうである。

とりあえずこの辺り切り払って花木を植えることにしたらどんどん楽しくなってきた。


お寺を整備していくというのは大げさに言えば環境をデザインしていくということである。
面白いし、やりがいのある部分ではある。

境内の雑木を切り倒して整備することも掃除と言えなくはない。
境内の雰囲気がどんなふうに変わるか楽しみである。

本日は朱印はゼロ。
暇なお寺だからこそこうした妄想が途切れることがないのである…

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