密教の可能性について
今月の「寺門興隆」(2010年7月号)によれば宗門系の大学で定員割れが起きているとのこと。
日蓮宗系の身延山大学、真言系の高野山大学と種智院大学では定員割れが著しいようである。
少子化と財政難は私学にとって共通の課題だが、宗門大学は各宗派の宗教精神によって
拠って立つものであるから、真言宗系の2校が共に定員割れという事態には危機感を感じる。
私自身は一般の私大を卒業したが、本山で修行を始めると高野山大学、種智院大学といった宗門系大学出身の同期生達は高度な読経も、声明も、法要への出仕も私とは比べものにならないくらい差があった。
私はといえば般若心経すらうろ覚えだったから彼らについていくのは本当に大変だった。
今後も真言密教が継受されていくためには、こうした宗門大学は是非とも必要な存在ではないだろうか。
本山での修行を終えて自坊に帰り、7年近くになる、これまで法事、葬儀、法要といった実務を引き継ぐことに精一杯だったが、ようやく葬儀の導師を務めさせてもらえるようになり、まだまだ一人前にはほど遠いが、一息ついたところである。
これから真言宗の僧侶になろうという方々に少しでも自分の体験、特に失敗の轍を踏まないでほしいという思いがある。
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特に巻末の「密教秘密修道マニュアル」は四度加行が詳述されていて四度加行のシュミレーションになっている。在家の読者には殆ど無用だろうが、四度加行に入行する真言系寺院の師弟の方には有益だと思われる。
四度加行は真言密教の修行の根幹であり、出発点であるが、その意義や深意を十分理解されないままに入行してしまうことがなんとも残念である。
真言系僧侶になるためには四度加行は必須である。
それを意義あるものにするためにも、四度加行に対して十分な理解や知識をもって臨んでもらいたいと思うのである。三井英光師の「真言密教の基本」の第二部は四度加行の意義を詳述していて必読であると思われる。
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真言系の寺院の師弟の中には真言宗という存在そのものに自信をもてない方もあるのではないだろうか。
私自身にずーっとそのような感覚があって、それを払拭できたのはごく最近である。
私たちの世代の習った歴史の教科書によれば密教というのは平安時代に貴族=支配階級に仕え、しかも加持祈祷=非科学的手法に拠っていたというかなりネガティブなものだった。密教というのは鎌倉仏教によって革新され、克服される旧体制的仏教という印象が強かったのである。最近では鎌倉仏教は平安仏教の発展と位置づける見解も浸透しつつあるが、そうした見解はまだまだ少数派ではないだろうか。
もっと単純に言うなら密教はとても面白いということである。
心をいかに統御し、仏とひとつになるかということが仏教の課題である。
私たちの心に生まれ続ける数限りない欲望、衝動、イメージ、エネルギー…
心を統御する為に、これらを排除し、滅していくというのはひとつの方向であろう。
庭造りに喩えるなら<無>の庭である。
庭に次々を生えてくる雑草抜き、雑木を刈り、石を敷き詰めて整然とした庭を造ることである。
それに対して、生えてくる木や草を生かし、あるものには肥料を与え、あるものには
形を整える<有>の庭造りという手法が、密教の心の制御の仕方ではないかと思う。
密教の面白さというのは存在を全肯定して、役割を与え、生かしていくという面白さではないかと思うのである。
生え続ける雑草の生命力そのものが実は宇宙とつながっているように、私たちの心に生成する欲望も衝動もイメージも全てが宇宙から来たものかもしれないと思うことがある。
ともかく密教は面白いのである。
真言系の寺院の師弟に生まれ、密教に縁ある方々に是非そのことを知ってもらいたいと願っているのである。
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