コーヒー一杯の功徳

   群衆をのみこんだ
   都会の悲しみの渦の中に
   コーヒー一杯分のやさしさを
   そそぎこむぼくの唄よ
                岸田智史「きみの朝」



昨日、フランソア喫茶室のことを書いたら、妻が行ったことがあると言ったので少しびっくりした。妻とあんまりコーヒーの話などしたことがないので少し新鮮だった。

フランソア喫茶室は祇園に近いので舞妓さんもよく使うお店とのこと。妻は他にもいくつか古い喫茶店を挙げていたが、「六曜社」とか「スマート珈琲」とか京都には老舗と呼ばれるような個性的な喫茶店が多いようである。

私は小学生1年生の頃まで京都市内に住んでいた。

子供の頃の一番の楽しみは祖父に連れられて大丸に買い物に行くことだった。
大丸で買い物をした後、近くのリプトンという店でパフェやアイスクリームなどを食べさせてもらった。
私の中ではとても大切な想い出である。

茶店という言葉から私は亡くなった祖父や祖父に可愛がられたことを連想する。
私がこうしたお店を好きなのは、自分の中の大切な想い出と結びついているからなのだと感じている。



産経新聞京都府下版に「珈琲のはなし。」という連載がある。

毎回魅力的な喫茶店が紹介されていて、紙面を残しておけば良かったと少し後悔している。
9回目は寺町にある「御多福」というお店の紹介。


御多福は寺町四条にあって、藤井大丸の向かいというから、やはり京都の繁華街の中にあってアクセスも良い。やはり一度行ってみたいものである。


家庭や職場以外に自分にとって大事なお店があるというのはいいものである。

自分の寛げるお店、リラックスできるお店、リフレッシュできるお店、いつもの自分を取り戻せるお店、また頑張ろうと思えるお店…

私も一人暮らしをしている時にはそんなお店に出会うことで随分と助けられた記憶がある。

そんなお店があるのは有難いことである。

お寺という存在もそのようであったらいいなと思うのである。


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