危険な赤ちゃんスイッチ

毎月28日は御不動様の日である。本堂の本尊は波切不動明王様なので毎月28日には本堂でお勤めの会がある。

(ちなみに8日はお薬師様の日。15日は阿弥陀様の日。24日はお地蔵様の日である。)

今日もお勤めを始めようとすると、入り口から母、妹夫婦、妹夫婦の子供三人がぞろぞろと入ってきた。
偶数月は護摩を焚くのだが、護摩に合わせて本堂内にある大きな念珠を回す。
この念珠は全長が10メートル近くあってかなり重い。

最近はお参りが減っていて、念珠が重くて回りづらいことが多くなった。そのため母が動員して妹夫婦らを連れて来たらしい。だが…

親族がずらっと並んでいる前で法話とかはものすごくやりにくい…

かなりしどろもどろで法話した。
自分の中にまだお坊さんというのを演じている部分があって、それが親族の前ではものすごくやりにくいわけである。
そんなことはさっさと越えないといけないのだがなかなか難しい。

妹夫婦は兼務している山寺の庫裏に住んでいるが、親子5人いつも仲が良い。子供達も自然のなかでのびのびと育っている。そのことはとても素晴らしいといつも思う。

自分に子供ができていろんな心境の変化があった。
もともと子供は好きな方だったが、自分の子供ができたら、子供を可愛がるだろうとか、娘が生まれたら世間の男親の習いとして、やはり一層偏愛するだろうとか、そんなことを予想していた。

全く予想外だったことがある。
自分の子供が可愛いとか、世間一般の子供が可愛いとかいったことを超えて、とにかく、誰の赤ん坊であっても赤ん坊が可愛いと思えるようになったことである。そして赤ん坊が危険な目にあったりするとものすごく可哀想になるのである。

蝉しぐれ [DVD]

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先日も友人の家で「蝉しぐれ」という映画を観た。

心に沁みるような風景や心情に溢れた良い映画で、俳優さんも皆素晴らしいと思った。

この映画を観るのは2回目だったが、小さな赤ん坊を連れた一行が悪者に追われて逃げるシーンがある。
赤ん坊が映るのは僅か10秒ほどのシーンがある。
ところが自分に子供が出来てから、そのシーンを見るとなぜか涙が溢れてくるのである。
危険な目に逢わされる赤ん坊がとにかく可哀想なのである。

そんな調子でテレビドラマでも、新聞のニュースでも、赤ん坊や幼い子供が虐待されたり、亡くなったりするとしみじみと悲しくなる。胸を絞めつかられるような感情が沸き起こるのである。
心のどこかに少しは覚めた部分も少し残っていて、そのことに戸惑うような、滑稽さを感じるような、照れくさいような気持ちもある。
だが、一旦、その心情になると心が大きな情緒に激しく揺さぶられるのである。
最近は少し年上の子供、さらには10代くらいの青少年についても時々そんな心情になることがある。
このことを私は勝手に<赤ちゃんスイッチが入る>と呼んでいる。
一旦、そのスイッチが入るとものすごい感情移入が始まるのである。

困ったことは職業柄、水子さんの供養を頼まれることである。
しばらく前もある方から依頼があって自宅で水子さんのために読経しようとしたら、仏壇に幼児用の玩具が備えてあった。
それを見たらいきなり<赤ちゃんスイッチ>が入ってしまった。
そしてなかなか心を平静に取り戻すのに時間がかかって弱った…

最近は幼児や児童の虐待の報道が連日のように行われる。
そのことをとてもとても辛く感じる。
子供が成長すればこの感情は無くなるのかもしれないが、家庭を持つことも、子供を育てることも経験してみなければ分からないことが沢山あるのだと改めて思った。
これもまた人生の妙味といえるのかもしれない。

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