「チャンチキおけさ」でお通夜を

【今月の『寺門興隆』】


もう稲刈りが始まっている。窓を開けて車を走らせると近くの作業小屋で収穫した稲を集めていたらしく、車の中一杯に藁の匂いが立ち込めた。この猛暑の中で稲作がほぼ平年並みのできだったのは喜ぶべきだろう。


お坊さん専門誌「寺門興隆」が届いた。

最近、毎回楽しみにしているのが篠原鋭一師の「在俗の説法者」という
この連載は「みんなに読んでほしい本当の話」として出版されている。

今回のタイトルは「チャンチキおけさ」
享年66歳で亡くなった男性が妻と二人の娘に宛てた遺言の話である。


通夜の儀式が終わった後、姉のA子さんが母と妹に告げた。
「お父さんの遺言、開けてみようよ!」
どこで手に入れたのかみごとな和紙作りの便箋とカセットテープが入っていた。
≪母さん、娘たちよ。私は先に逝きますが、悔いはありません。私が残したものを活用して、大らかに生きて下さい。
知っている通り、私が三歳の時に父が、十三歳の時に母が亡くなったので、父さんは祖父母に育てられた。忘れもしない昭和三十四年、中学三年生の時のこと。修学旅行は東京見物と決まったのだ。けれど貧乏なことを知っているから私はなかなか言えなかった。ところが誰から聞いたのか、ある日の朝おじいちゃんが、
「これ、先生に渡すんだぞ!」
と言って紙封筒を持たせてくれたんだ。中に修学旅行の費用が入っていることはすぐにわかったから、私はうれし涙を流しながら中学校まで走っていったよ…
 さあ、東京にやってきた。今から思えば、中学生に歌謡ショーを観せるなんておかしいけれど、有楽町の“日劇ミュージックホール”で開催されていた“三波春夫ショー”を観たんだ。もちろん生演奏、ものすごいあざやかなライトの変化。私は大興奮。圧巻は当時大流行していた、“チャンチキおけさ”。
“つきがわびしい ろじうらの
やたいのさけの ほろにがさ……”
 この日から私は、中学生なのになんだかこの歌が大好きになった。心にしみたんだよ。
“しらぬどうしが こざらたたいて
チャンチキおけさ
おさけせつなや やるせなや”

私は疲れたとき、つらくなった時、この歌を唄って乗り越えてきた。
 母さん、娘たちよ。最後のお願いだ。お通夜の席には、この歌を家族で唄って欲しいんだ。私も一緒に唄いたいから、あるカラオケ店でテープに吹き込んでもらった。母さんは知っているだろうけど娘たちは知らないね。でも父に合わせて唄ってくれ。楽しいお通夜にしようじゃないか!
 母さん、いやN子、永い間ありがとう。君と会えて幸せだった。君が私のことをいつも認めてくれていたから生きてこられたんだ私は……。娘よ。生まれて来てくれてありがとう。私のいのちを君たちにバトンタッチできたことを心から幸せに思う。本当にありがとう。
 さあ、チャンチキおけさを唄おう!スイッチ・オン!  夫・父より≫

なかなかいいお話だと感じいった。

若い人たちにとって音楽は環境の一部であり、なくてはならないものになっている。
だが彼らを観ていると自分が死ぬ時に家族に歌ってほしいと思える一曲が果たしてあるだろうかと思えるのである。音楽からはいつのまにか哀愁や寂しさや無常感が消え、どこか無機的な明るさに満ちている気がする。お金の有難さ、家族の有難さ、そんなものもどんどん希薄になるつつある。

豊かさとはどういうことか、幸せとはどういうことか、改めて感じさせられた一文でした。
 ブログランキ

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