伊勢神宮参拝の旅

今回は伊勢神宮の内宮、外宮、さらに猿田彦神社に参拝した。


その帰り道のこと、名神高速を走っていると、後続の車輛がやたらと車線変更していることに気がついた…
まもなく、ライトを点けたまま爆走してくる一台の大型車があった。
すぐに隣の車線に避ければ良かったのが、ちょっと男気を出して(笑)そのまま走っていたら、この危ない感じの車が爆音でクラクションを鳴らしはじめた、さすがに少しヤバイかなと思ったので、隣の車線に移ろうとするが混んでいてなかなか移れない。結果的にこの車の前に立ちはだかった形になった。
とうとうその車は強引に私の車に並走して、幅寄せするわ、追いぬいて前に出ると急ブレーキを踏んだりと、メチャクチャにアグレッシブな運転をはじめた。どうやらその筋の方を怒らせてしまったらしかった。「恐怖新聞」を定期購読したくらい寿命が縮みましたね(笑)

この話を地元のご住職にしたら、私の運転技術が拙いことを知っておられたご住職は「これからは若葉マークか落ち葉マークを着けて走ったら?」忠告して下さった、これからは
そうしよう…
これから遠出する時は波切不動様に交通安全の祈願をしてからでかけるとしよう。(ちなみに旅行や車の祈願には摩利支天を本尊とすることが多いようである)

外宮に参拝してから内宮に参拝するのが正式な作法であるとされている。

外宮の説明板には外宮が「丹波から移された」と書かれている。
実際、福知山には元伊勢なる神社がある。伊勢が次々と遷宮していたというのは大変興味をひかれる。丹波丹後には元伊勢の伝承が多いが、この地域の重要性と合わせてもっと知りたいところである。

奈良に都が出来てから頻繁に遷都が行われたが、遷都と遷宮は関係があるのか。
首都や聖地が移動するというのは一体どういう意味があったのか、大変に興味ある史実である。

外宮を参拝した後、内宮に向かうと駐車待ちの車が列を作っていた。
地元の方によれば高速道路無料化の影響で参拝が大変増えているとのことだった。

広大な境内を抜けて、本殿に着くと、手前の石段の前あたりから既に清々しい気に満ちていた。
心を神様に向けると神が大きな大きな光の柱であり、自分は小さな小さな光の粒になって、この柱に溶け込んでいくような素晴らしい感覚があった。伊勢は日本の聖地として大切に守っていきたい場所である。

ただ残念なことに他のお参りの方を見ていると2拝2拍手1拝を知らない方、帽子を取らない方、ごみでも捨てるみたいに無造作に賽銭を投げる方があり、少し残念だった。

伊勢など戦前に日本にとって聖地だった地域には戦後、日教組などの筋金入りの活動家が送られ三重県は全国的にみても日教組の組織率が高い地域になってしまった。このことが伊勢にとって良い影響をもたらすとは思えない。こうした聖なる場所というのは地元の方の篤い崇敬に支えられて初めて機能するものであり、そうした精神的土壌はおそらく戦後の思想的な浸食のなかで切り崩されつつあるのではないかと懸念される。

内宮に参拝した後、猿田彦神社にも参拝した。

猿田彦神社は内宮から僅か500メートルほどしか離れていないが、大変重要な神社であることは間違いない。境内は人が少なく、その静寂さのおかげでゆっくりと参拝することができた。
内宮は人が多く、その混雑のなかで神様に向き合うという雰囲気が弱められてしまっているのが残念である。地元の方は早朝に参拝されることが多いそうである。次回は是非、早朝に参拝したいと思っている。

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