パンタカの涙

本日も松尾寺のお彼岸の供養に出仕した。

それにしても暑い…。涼しい山の上のはずなのに30度を超えているようだった。
松尾寺の大きな本堂でお経を読んでいると汗が背中を伝って落ちるのが感じられた。

夕刻から雨が降り、明日まで続くようだが、明日の最高気温は10度近く下がりそうである。
松尾寺はこの辺りでも標高の高いところに位置しているのでどれくらい涼しくなるだろうか?

延々と酷暑が続き、一転して秋になるという気候も珍しい。

酷暑が和らいだのは有難いが、少し気持ちが緩んだ時に意外に体調を崩しやすいので要注意である。拙文をご覧頂いている皆さまもどうぞご自愛頂きたい。

というわけで今日も少し気功やヨーガをやって体調を整えた。
気功もヨーガも室内で手軽のできるのが有難い。明日は太極拳を少しやることにしよう…

お経の話 (岩波新書)

お経の話 (岩波新書)

蔵書をバザーに出すために整理していたら「お経の話」という本がでてきた。
記述は平易だが、主要な仏教経典についてよくまとめられた良書である。

そのなかにパンタカというブッダのお弟子の話が書いてあった。



パンタカという名前の兄弟がいた。
兄のパンタカは大変優秀で仏陀について出家し、聖者の境地に達した。
兄のパンタカは弟も出家させ、修行の道に入らせることにした。

当時の教団では短い詩を暗記することがきまりだったので兄のパンタカは次のような詩を教えた。

『身と言葉と心とで悪いことをしなければ、
世の生きものたちを悩ますことはない。
正しく念じて欲望の対象が空しいとしるならば、
無益の苦はきっと遠ざかるにちがいない。』

生来、頭の悪かったパンタカは3カ月たってもこの詩を覚えることができなかった。

兄のパンタカは弟のあまりの愚かさに怒って「おまえのような愚かものは、仏の道を志してもだめだ」とののしった。
叱られたパンタカは部屋の外に出て声をあげて泣いていた。そこにブッダが通りかかった。
ブッダは自分の弟子のアーナンダを呼んで、弟のパンタカに詩を教えさせようとしたが、パンタカはどうしても覚えられなかった。
そこでブッダは弟のパンタカを呼んで「私は塵をはらう、私はよごれをきよめる」という2句だけを暗記するように言った。
だがパンタカはこの2句すら覚えることができなかった。ブッダはパンタカに修行僧たちの履物の塵をはらいながらこの2句を唱えるように言った。
パンタカは言われたとおりに履物の塵をはらいながらこの2句を暗唱しているうちに、とうとうこの2句を暗記することができ、この2句を機縁として聖者の境地に達することができた。



この話は私はがとても好きな話である。
もしかしたら以前にもブログで一度書いているかもしれない。

ブッダが生きておられたころの修行の方法に仏法を詩にして暗唱することがなされていたらしいというのは興味深い。
ブッダの死後集まった大勢の弟子達がブッダの言葉を纏めるために集まった時、数百人の弟子達が一斉に詩としてまとめられたブッダの教えを斉唱したらしい、なんとも心躍る光景である。



私の学んでいる密教は仏教史のなかでも比較的新しいが、<身><口><意>という3つの要素を仏の境地に近づけることが修行の眼目である。このパンタカの話を読むとブッダ在世の頃から、「身と言葉と心」という3つの要素を清めることが重視されていることがわかる。このこともとても面白い。


この話を読むと時々、胸が熱くなることがある。
私には優秀な兄に叱られて、声をあげて泣いているパンタカの様子が目に浮かぶのである。
そしてブッダの優しい眼差しも。


どんなに頭が悪くても、どんなに不器用でも、倦まずたゆます一生縣命努力すれば素晴らしい人生になる。
パンタカの話を読むたびにそう思うのである。


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